多摩爺の「時のつれづれ(弥生の44)」
教育ジジイ、スタンバイOK
孫が作ってくれた工作が増え過ぎちゃって、
断捨離ができず・・・ ちょっと嬉しい愚痴を、昨年綴ったことがあったが、
その後も創作意欲が止まらず、いただきものが増えすぎて、ホントに凄いことになってる。
頭の中で、なにかしらの思いを巡らして、なにかに辿りつくことを、
よく使われる単語にすると・・・ 「imagination」ということになるが、
その「imagination」が、工作や、絵画、音楽などの作品の形になると、
「creation」という単語に置き換わってしまう。
「imagination」も「creation」のどちらも直訳すれば、
「そうぞう」ということになるんだが・・・ これを漢字にすると、
「imagination」の場合は「想像」だが、「creation」の場合は「創造」となり、
読みは同じでも・・・ 文字も意味も違うので、これはちょっと面白い。
特になにが、どうってことじゃないし、小難しいことを言うつもりもないが、
6歳と4歳の二人の孫が、幼児から小児へと成長していく過程で、
「大きくなった。重くなった。」という体の成長は、見たら直ぐに分かるが、
言葉を覚え、講釈を垂れながら、頭の中で育まれてきた知的な成長は、見ただけでは分からない。
そんな知的な部分にあたる成長は・・・ いったいどうやったら見えてくるのだろうか?
孫が作ったブロックのロボットを玄関に飾りながら、ふと思いついたのは
「imagination、想像力(思考=無形)」という視点と、
「creation、創造力(創作物=有形)」という視点で区分したら・・・ どうなるかだった。
孫たちは、頭の中で育んできた想像力を、焦れったいぐらい小出しにして披露してくれる。
まずは言葉にして発すると、続いてハサミとセロテープを使って形ある物を作り始め、
その後は・・・ 文字や絵を描いたり、楽器を使ったりして、
得手不得手と、好き嫌いを学び、褒められることで想像力と創造力にさらなる研きをかけている。
スタートは頭に蓄積された想像力だったのに、そこから創造力が育まれ・・・ 形あるものになると、
どんなに視力の良い人でも、100%肉眼で見ることが叶わない、
「脳みその皺って、たぶんこうやってできるんだ。」ってところに辿りつき、
いま断捨離しようかと迷っていた、孫たちの工作物のなかに、その答えあったことに気づかされる。
もっと早く、その創造力に気づいてやらなくちゃいけなかったのに、
「想像力があるね。」で止まっていて、大変申し訳ないが見落としていたようである。
女房に言わせれば・・・ この爺さんは理屈っぽくて、どうしようもないってことなんだろうが、
可愛くて堪らない上の孫が、今週末に保育園を卒園し、来月から1年生になると思えば、
リタイア後の生きがいにするつもりだった、教育ジジイの準備に取りかからねばならない。
まずは7~8年前に買ったときは、三度ぐらい読み返したが、その後は書棚の肥やしになっていた、
私が心酔した一冊、瀧本哲史さんの「ミライの授業」を再度読み直そうと思う。
学校で学ぶ勉強のサポートに加えて・・・ 「ミライの授業」に記されている「なぜ学ぶのか。」、
「世界を変える旅は違和感から始まる。」、「冒険には地図が必要だ。」、
「一行のルールが世界を変える。」、「すべての冒険には影の主役がいる。」、
「ミライは逆風の向こうにある。」などについて、ワクワクするような話しをしてやりたい。
要らぬお節介なんだと思いもするが、
至って真面目にというか・・・ 当人は本気で力んでいる。
ガンバレ! 教育ジジイ
本日より、スタンバイOKである。
4年前に綴った「ミライの授業」に関する記事