多摩爺の「東京ぶらぶら(その4)」
夕日と夜景 東京タワー (港区)
年賀状を作成する合い間に、ハードディスクに保存していた、
10年前の古い写真のフォルダをクリックして・・・ しばし、思い出に浸っていた。
記憶が確かなら、その日は・・・ 仕事納めが終わった翌日(29日)だったはず、
行く当てがあったわけでもないのに、家族忘年会でもと思って、
ちょっとキザに・・・ 「三丁目の夕日」を眺めに行こうと、女房と娘を誘ってみた。
「いいけど、どこに行くのよ?」と言われた記憶が・・・ なんとなく残ってる。
夕日を見るんだから・・・ いまだったら、
間違いなく「スカイツリーをに行こう。」って言ってたと思うが、
スカイツリーが出来たのは、9年前の「東日本大震災」が起こった年だから、
当時は完成一歩手前であり、その選択肢は頭の片隅にすらなかった。
結局、当てがないもんだから、思いつきで口から出たのが・・・ 東京タワーだった。
高校の修学旅行で上京し、東京タワーを訪れたことはあるが、
食堂でカレーライスを食べたことしか記憶になく、
どんな景色だったのかなんて・・・ 待ったくもって覚えていない。
「三丁目の夕日」を見ようと言ったものの、この言葉には、なに一つ計画性がなくて、
いわゆる・・・ 口からポッとでた、行き当たりばったりだったんだが、
その日は、小学生の遠足みたいな気分になり、
昼下がりから、なんとなくウキウキしながら、東京タワーに向かった記憶は鮮明に覚えている。
展望台から眺めた「三丁目の夕日」は、西日となって富士山の引き立て役を担い、
都心のビル群に、ポツポツと目立ち始めた灯りとのコントラストが、
想像以上の絶景で・・・ チョー感動
時計を早や回しするかのように、暮れてゆく大都会の光景に、しばし目を奪われていた。
また、闇が深まるにつれ、赤羽橋交差点の付近に浮かび上がってきたのは、
走る車のライトが、糸を引くように連なり、流し絵のように地上に描かれた東京タワー
当時、この言葉は存在してなかったが・・・ まさにインスタ映え、
圧巻の景色に・・・ この表現しか思い浮かばなかった。
いまの時代、カメラ付きのスマートフォンを持ってない高校生は・・・ 稀だと思うが、
当時のカメラは高価で、親のものであっても、修学旅行に持って来ている高校生は多くない。
また、カラーフィルムがまた・・・ 買うのも、プリントするのも高いので、
写真を撮る同級生はわずかで、頭の中に記憶するしかなく、それには限界があった。
それにつけても・・・ もし、北斎や広重が、この高さから、この光景をみたら、
いったいどのように描いていただろうか?
無いものねだりをしても仕方がないが、ふと・・・ そんなことを思ったことを思い出す。
いまから思えば・・・ とっても平和で、穏やかだった2010年の師走
まさか、この3カ月後に「東日本大震災」に襲われるとは、全く持って思いもしなかった。
そしていま、現(うつつ)の世界に時を戻せば、
東京の新規感染者(新型コロナウイルス)は、恐ろしい勢いで増加の一途を辿り、
昨日はついに・・・ 1日当たりの新規感染者が800名を超えている。
自分だけは、自分ぐらいは・・・ そんな思いを、律することができなければ、
落ち着いて過ごす日は、当分やってこないだろう。
いま、この国に(東京に)求められているのは、
お上からの指示ではなく、人としての振る舞いなんじゃ・・・ なかろうか?
ガンバレ! ニッポン
頑張ろう! 東京
下から眺めると鉄骨しか見えないが、地震大国で333メートルの高さだから、この国の技術力の高さに感心する。
展望台からみつけた地上の東京タワー、赤羽橋の交差点の上を、首都高が交差して「大」の字に見える。
「三丁目の夕日」じゃないが、黄昏の都心から眺める富士山に・・・ チョー感動
私のプロフィール画像は東京タワーですよ
小学校の遠足では東京タワーに行ったり隣のおじさんがミゼットで連れていってくれたりと丁度東京タワーが完成した時は小学校5年生だったかな?
もう何回も登りました夜の東京タワーに登るのもとても良いですよ~
そうですね・・・最後に登ったのが7年前でしかね・・・又行きたいと思い頑張って生きております。
都内在住と言っても多摩地区ですが、私は高校時代と10年前の2度しか東京タワーに行ったことがありません。
会社が虎ノ門界隈にあったので、毎日のように見ていたのですが、灯台下暗しなんでしょう。
コロナ禍が落ち着いたら、あの夜景とあのカレーライスをもう一度楽しみたいと思っています。
元気で頑張りましょう。