多摩爺の「時のつれづれ(師走の7)」
決め台詞は「トリアージ」
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐ・・・ 「勝負の3週間」は完敗だった。
まるで他人事のように、そんな記事が新聞紙面に踊り、
メディアに登場するコメンテーターたちは、「為政者の発する声が響かない。」と批判を繰り返す。
結果だけを捉えてみれば、確かにそのとおりだったと思いもするが、ではどうすれば良かったんだ?
つい半年前までは、高い民度を持つ、素晴らしい国民だったはずなのに、
それがいまじゃ・・・ 世間を舐めきった者たちや、聞き分けのない者たちが巷を跋扈し、
「自分は大丈夫だから」と繰り返し、家族や、友人、隣人のことを気遣うことがなくなってしまった。
医療業界からは・・・ 現場の崩壊を危惧する声が、日に日に増して来ており、
そういった声が、メディアでも再々取り上げられるようになってきた。
医療現場のトップは、定例会見の場で「ウイルスに年末年始はない。」と
必死の形相で訴えかけている。
しかし・・・ その声は、民度が高いはずの国民には、依然として届いていない。
為政者の声を聞かないならまだしも、
悲しいかな、最後の砦で体を張ってる現場の声が・・・ 無視されている。
もはや、諸外国のように(法律を改正して)ロックダウンをするしかないのだろうか?
いまとなっては、文明社会において最大で最高のコミュニケーションツールである「言葉」ですら、
その効力を・・・ 失ってしまったのだろうか?
状況は極めて厳しいが、最後の最後に使える決め台詞(殺し文句)が・・・ 一つだけ残っている。
それは「トリアージ」、そう「トリアージ」である。
医療現場から、もうじき・・・ 「トリアージ」をせざる得ない。
医療を受ける患者に、優先順位を付けざる得ないと宣言されたら、ピリッとするのではなかろうか?
神奈川県では、新型コロナウイルスに感染した患者を、
年齢や基礎疾患のあるなしで、入院の選別をすると宣言した。
穏やかな口調だったが、これは明らかに「トリアージ」である。
その結果・・・ 基礎疾患のない50代の男性が、ホテル療養中に事態が急変し亡くなってしまった。
あまりにも気の毒で、あまりにも忍びないが、「トリアージ」をするとこういうことも起こり得る。
とはいえ・・・ 「トリアージ」といっても、春先の欧州のように、
人工呼吸器につなぐ患者を、年齢で選別するといった、
究極の「トリアージ(命の選択)」を求めているのではない。
ホテル療養、自宅療養も立派な「トリアージ」であって、それを細分化し、厳格化しただけであり、
「トリアージ」という言葉が持つ、ドキッとするパワーで、国民の脳みそに訴えかけるのだ。
大阪府の知事が同様の発言をしたら、メディアは言葉尻を捉えて袋叩きにしたが、
医師が説明をした、神奈川県の対応には亡くなった方が出ているにも拘わらず、
ダンマリを決め込んでいる。
感染拡大が甚だしい東京都も、じきにそういった方向で進むだろう。
都知事は、大阪府のこともあって、あからさまに「トリアージ」という言葉を使うことができない。
しかし、現場の状況を把握した医師が
「トリアージ」という言葉を使うことについて、非難は声はでてこない。
そう捉えれば・・・ 国民の心にグサッと刺さる言葉は、もうこれしかないんじゃなかろうか?
「これからは、トリアージをせざる得ない。」
毎週、定例会見されている医師会のトップが、一言そう述べるだけで、
この言葉は瞬く間に列島を駆け巡るだろう。
そして、真正面から言葉を捉える日本人が・・・ 「トリアージ」という言葉を耳にすると、
春先にパンデミックに陥ったイタリアを想像し、命の選択と結びつけてしまうだろう。
それが、狙い目なのである。
生来日本人が持っている、生真面目な国民性に鑑みれば、
「トリアージせざる得ない。」といった言いまわしは、
究極の決め台詞(殺し文句)になると思うが・・・ 如何なもんだろうか?
追伸
できることなら、トリアージの基準に、年齢と基礎疾患あるなしに加えて、
聞き取り調査で、会食あるなし(感染対策をした店か否か、マスク会食か否か)も基準に加えると、
一層の効果があるだろう。
そんなことを基準にすると、だれも正直に喋らなくなるかもしれないが、
究極の殺し文句に期待するのであれば・・・ それもありなんじゃなかろうか?
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