人の生きる意味は何か
「天地の存在は永遠であるが、この身は一生を終えれば二度と生まれることはできない。
人生はわずかに百年、しかも、月日はあっという間に過ぎ去ってしまう。
幸いにも天地の間に生まれて人となったわれわれは、人として生きる楽しみを
知らなければならないとともに、せっかく与えられた人生を、
むなしく過ごさないようにという心がけをもちつづけなければならない。」
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ただ生きるだけでなく
中国の明の時代の洪自誠は『菜根譚』(さいこんたん)の中で、このような言葉を残しています。
洪自誠が生きた時代は、王朝文化が大いに栄え、華やかな時代とはほど遠く、政治が混乱し世の中が不穏な空気に包まれていた時代であったようです。
不忠の臣が権勢を都合よくふりかざして政治を乱し、異民族との戦いのために国家財政は窮乏。
その立て直しのときに、宦官が国民に対して、厳しい態度でのぞむことにより、各地に大きな暴動がおこる状態であったといわれています。
このような不幸の時代にしか生きることのできなかった洪自誠は、市井の人々と共に生き、己の学問に努め、
他の幸せを心ひそかに願い、言葉を振り絞るように書き続けていたのでしょう。
はかない人生を生き抜いてやるの気持ちで!
のちに『菜根譚』のこの言葉に解説を加えた、野口定男氏は「はかない一生ではあるが、
幸いにも人と生まれたおかげで、われわれにはさまざまな楽しみがある。中略。それらを知って真剣に追求すれば、
所詮はかない一生であっても、むなしさに苦しめられることはなく、一刻一刻を充実することによって、
短い人生を有意義なものにすることができるのではなかろうか。」と述べています。
深く味わいのある解説と思います。
真剣に生きるからこそ人は輝く!
一人ひとりは、神さまから命を頂いて生きています。
その命の輝きは、真剣に生きるからこそ輝きを放つものと思います。
尊く光り輝いているさまを、神々(ごうごう)しいと表現し、同じような意味で使うことを考えますと
妙に大切なことを言い当ててることを感じます。
「真剣に人生を歩むものとともに神さまがいらっしゃる。」ということでしょう。
『菜根譚』の言葉を取り上げましたのは、「真剣に人生を歩むものとともに神さまがいらっしゃる。」ということを
神学的にふれるために紹介しました。今後も、何かの折にわかりやす言葉を『菜根譚』から紹介します。
お読みくださり有り難うございました。
皆様、よい休日をお過ごしください。
明日は、神道の言葉、「中今(なかいま)」をアップします。
過去、現在、未来をどのように神道はとらえ、そして、私たちが生きているのかに繋がります。
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