パパね、中身が女の人らしい💁🏻‍♀️

性同一性障害MtF
恋愛対象は女性
強烈な男性拒絶でさらに複雑

トランスジェンダーの私心に寄り添います うつ病を克服した当事者として心の悩みに深く寄り添います

2023年05月20日 | 男から女性へ💁🏻‍♀️

元男性、現在女性として社会生活を生きているシングルファーザー&マザーの私。 
幼少期の虐待を乗り越え、性別違和感に争いながら生き抜き、今はひとり息子を育てながら明るく楽しく穏やかに生活をしています。 
外資系最大手のコンピュータ・スマートフォンメーカーで培ったコミュニケーションスキルと、元来の人好きが幸いして、今は多くの方のお悩み相談やお話し相手として活躍しております。
 カテゴリは恋愛となっておりますが、話が脱線してもぜんぜんOK! もちろん、うつ病、社会不安障害、LGBTQ+に関するお話も大歓迎です。

 心のうちに秘めていた想い、悩み、愚痴をすっきりさせて、前へ進む後押しをさせていただきます。 
お気軽にお声がけくださいね。

性同一性障害のカウンセリング 第四回

2020年08月28日 | 男から女性へ💁🏻‍♀️
四回目のカウンセリングは虐めを受けたことについてから始まった。

小学四年生の終わり、三学期の始業式が終わった後のことだ。

仲良しの女の子達四人で、私の机の周りに集まって話をしていた。
冬休み、クリスマスやお正月はどうだったとか、そんな他愛無い話をして笑っていたところに、クラスで目立つ粗暴な男子がやってきた。
彼は私に向かって、
「お前、女みてぇだな」
と食ってかかってきた。
一瞥し、相手にせず無視していると、今度は私の鞄を蹴飛ばしてきた。
「おかま野郎だから鞄も女みたいなやつじゃん、気持ち悪いやつ」
鞄を拾い、机の横に掛け直したが、それをまた蹴飛ばしてきた。
これに切れた。
身長は私の方が大きい。だが、力は互角か私の方が弱いくらいだろう。
あまりにも腹が立ったので彼の胸ぐらを掴んで思い切り突き飛ばした。
後ろに転んだ彼は、すぐに起き上がって私に向かってきた。
動きが見えたのでそのまま身体を捻ってかわしたので、彼はそのまま隣の机に突っ込み、そのまま転んだ。
大きな音に何事かとクラス全体がざわついた。
先生がやってきた。
絡んできた彼は鼻血を出して泣き叫んでいた。
まるで私から手を出したかのように、先生から問い詰められ、叱責された。
もちろんその場にいた女友達や、他の子達からも、彼が最初に仕掛けてきたことが明かされ、鞄を蹴飛ばされたことも含め、彼に非があることは先生に伝わった。
ただ、売り言葉に買い言葉となったこと、結果的に彼は鼻骨が欠ける怪我をしたということもあり、喧嘩を買った形になったことで私にも非があるとされた。
納得がいかなかった。

翌日、学校へ行くと、彼は休んでいた。
ここがまずかった。
事件の当事者として、事実と異なる解釈が広まっていた。
身体が大きいというだけで、その場で起きたことや私の性格などは一切出ず、一方的に私がやったことになっていく。反論したが、他勢に無勢となり、女友達やクラスメイトの言葉も届かず、加害者と決めつけられた。
悔しくて仕方なかった。
先生に相談もした。ホームルームで先生が釈明してくれた。効果はなかった。
その根底には、常に女子とばかり一緒にいた私のそれまでの振る舞いに対する反感や、他の男子からすると私は女子に人気があると思われていた根深い妬みがある。
結局、先生から話が出たことで却って反感を買うことになった。

下校時間になり、仲良しの女の子達と一緒に正門を出ようとしたところで、怪我をした彼と仲が良かった他の男子達に捕まった。
プールの裏の用具室の脇に引っ張られ、いきなり後ろから肩甲骨の間あたりを蹴飛ばされた。そのまま突っ伏すように倒れたところ、数人から殴る蹴るの暴行を受けた。
息が詰まって動けず、声も出ない。ただ殴る蹴るを受けるだけになった。
どのくらいの時間だったのかわからないが、気を失った。
気がつくと保健室のベッドに寝かされていた。
仲良しの女の子達が先生を呼びに行って助けてくれていた。

親が呼び出された。母親が来た。迷惑をかけて申し訳ないと保健室の先生に詫びていた。
先生はすぐに病院で診てもらった方がいいと言ってくれた。
身体中が痛かった。呼吸も苦しいままだった。悔しくて涙が溢れた。
母親は私に手を貸して立たせた。先生にもう一度詫びてから学校を出た。
途端に母親が私を睨みつけて引っ叩いてきた。思い切り、左の頬を母の右手がしなりながらぶつかっていった。何度も叩かれた。母親はそのまま家へ向かって歩いていった。

家に着いた。病院へは連れていってもらえなかった。
部屋の隅に追いやられ、壁に向かって正座をするよう命じられた。
足が痺れた。いつもながら食事もない。トイレへもいかせてもらえない。我慢するしかなかった。
身体の痛みと疲れで睡魔が襲ってくる。だが眠ることもできない。
ようやく母親と姉が眠りについた。起こさないよう、音を立てずに立ち上がろうとした。痺れたままの足に力は入らない。這ってトイレへ入った。なんとか漏らさずに済んだ。トイレから出てまた部屋の隅に戻った。私の布団などなかった。そのまま畳に蹲り、眠った。

家に帰ってきても味方などいない。癒してくれる人もいない。幼い頃からずっと続いていた母と姉の虐待は、この状況でさらにエスカレートした。決定的だった。

女の子みたいな性格の男の子。
最初から女の子として生まれてきていたら、こんなことなかったのに。
男の子の身体だから、女の子みたいな性格の自分は認めてもらえない。
嫉妬、妬み、蔑み、暴力、それが私の知っている男子の姿だった。
そんな男子と一緒にされたくない。
男という生き物がつくづく嫌になった。
自分が男の身体を持っていること、男という性別であることが嫌でならなかった。
男という生き物を一切受け付けなくなった。
自分は女なのに男の身体で生まれてきてしまった不完全な人間だと理解した。
自認性別が女であることと、強い男性拒絶が確立した出来事だった。

「それは・・・辛かったね、よく話してくれたね。ありがとう」
先生は私の涙の意味を理解してくれた。
「幼少期から性別違和があった上で、そんな出来事があったなら、今の状態は無理もないことだと思うわ。あなたの心が女性であることはよくわかった。これは本当に決定的な出来事だったと思う。でも、ここから切り替えていきましょう。これからはそのためにできることを一つずつやっていけるのよ。安心してね」
先生の言葉に慈しみを感じた。涙が止まらなくなった。
隣で聞いていた彼女も、ここまでの話とは思っていなかったようだ。泣いていた。

カウンセリングの時間が余った。
その時間を先生は気持ちを切り替えるために使ってくれた。
生活指導を兼ねて次回はお化粧や話し方、振る舞い、仕草を学ぶ時間にしようと言ってくれた。
性同一性障害のカウンセリングという範囲を超えて、私が女性として生きていく上で必要なことを学ばせてくれるという。ありがたかった。

診察室を出てロビーのソファに座る。
彼女が言う。
「ねぇ、またお部屋行きたいな」
彼女がいてくれるからこそ、今こうしていられる。
迷いはなかった。

病院を出て、今日は少し遠い部屋を目指して車を走らせた。
息子が帰ってくるまで4時間ある。
今は二人でのんびり過ごしたい。

一番の苦悩を言葉に出したことで、不思議と晴々とした気持ちになっていた。
今日は素直な気持ちで、女として彼女を愛し、男の身体を使って抱いてあげたい。
女として生きていく決意も、彼女が向けてくれている愛に支えられていると感じた。

性同一性障害のカウンセリング 第三回 そして

2020年06月18日 | 男から女性へ💁🏻‍♀️
「私、その頃から立ってトイレすることができなかったんです」
「それは今でもっていうこと?」
「はい、そうです」
「小学三年生の頃からずっとっていうことよね?でも男子トイレ使ってるだろうし、不便だったんじゃないの?」

小学校三年の時、学校で性教育の授業があった。
今の様にインターネットなどの情報が無い時代、小学生が手にすることができる情報源は雑誌やテレビくらいしかない。テレビは親の目もあるので性に関わる番組などを観るのは難しい。となればあとは雑誌を本屋さんで立ち読みする程度だろう。
親とはほとんど一緒に暮らしていない状態だったので、叔母の家で自由にテレビを観ることはでいたものの、さすがにキワドイ描写のあるシーンや、直接的な性に繋がる番組は抵抗がある。
その程度の知識、情報量では、男と女の違いは単純に生殖器、外性器が違うところくらいしかわかっていない。そこからさらに男と女の違いを学ぶために性教育の授業があり、生理や妊娠、射精などについて知っていくことになるのだ。

「性教育の授業の時に、先生が最初に話したのが、男の子は男子トイレを、女の子は女子トイレを使うっていうことで、男と女の体の違いを描いた大きな絵が黒板に貼られてたんです」
「うんうん、そういうのあったよね。それを見て体の違いがよくわかったんだね」
「いや、従姉妹と一緒にお風呂入ったりしていたので、ある程度はわかっていたんですよね。ただ、自分の身体がこれからどう変わっていくかっていうのがぼんやりとしかわかっていなかったのが、はっきりしていった感じでした」
「そうだね、女の子も男の子も二次性徴で大きく変わっていくことを説明していくから、ある意味ちょっとショックだしね」
「ショックはショックでしたけど、その使うトイレが違うっていうところをクローズアップしていたので、それでもう明確に男性拒絶というか、男子トイレに入ること自体苦痛になってしまって」
「そうなの?苦痛って、どういう風に?」
「あの小便器とか、そこでしてる後ろ姿とか、男って感じる様子を見ると強烈に吐き気がする様になっちゃって、男子トイレに入ることができなくなって。いつも我慢してましたね」
「先生に相談したりしたの?」
「はい、担任の先生が女の先生だったんですけど、授業中にトイレに行くことが何度かあったのでおかしいなって思われたんですよね、ある時職員室に呼ばれて。それで男子トイレ入るのが嫌だって話したら、“じゃあトイレ行きたくなったら先生に言ってね、先生用のトイレ連れてってあげるからね”って言ってくれて」
「優しいねぇ、いい先生だったんだね」
「はい、私がほとんど叔母の家で生活していることも知っていましたし、女の子の志向があることもわかっていたみたいなので、もしかしたら先生は私の心が女の子だって理解していたのかもしれないです」
「うん、そうかもね。先生用のトイレは女子トイレだったの?」
「はい、そうです。いつも先生が一緒に中へ入って個室へ入れてくれて、手洗い場のところで待っててくれました。その時にね、いつも先生が外から私に話しかけてくるんですよ。その話が面白くて、トイレ行くのが楽しくなっちゃって」
「うまいなぁ、その先生。苦手意識を克服するためにだったんだと思うよ。素晴らしいわ、その先生」

その先生が担任になったのは三年生の時だけだったが、その後卒業するまでずっと私を気にかけてくれていた。トイレはもちろん、他にもいろいろなこと、学校での不安はこの先生のおかげで克服できていたのだと思う。

性教育の授業で男と女の体の違いを学んだ。
その時、妊娠する仕組みとして、男の精液に含まれている精子が、女性の子宮へ入り、卵子と受精することで妊娠するという説明もあった。
だが、そうするためにどうするのかということについては一切触れていなかった。つまり、男性器を女性の膣へ挿入し、そこで射精するという行為、セックスという行為自体は分からないままだ。
性教育の授業が終わった後、担任の先生が私がどう思ったかを聞いてきた。場所は職員室の隣にあった応接室の様なところだった。

「大人になればそのやり方とかも少しずつ学んでいくんだけど、そのためにあなたの身体もどんどん変化していくの。男の人と女の人で使うトイレを分けているのも、男と女では世の役割が違うからなのよ。今は何かあっても先生が手伝ってあげることができるけど、それはまだあなたが小学生で、子供だからなの。これから中学生になって、高校生になって、大学生や社会人になっていくと、先生みたいに手伝ってくれる人はいなくなっていく。自分で全て解決していかないといけないんだよね。大人になるっていうのはそういうことも含めてなんだよ」

自分でもわかっていることではあったが、男子トイレに入ることができない気持ちは、どうにもできなかった。せめて男子トイレの個室にそのまま入ることができればいいのだろうが、そうもいかない。小便器を使うことすらできないのだから。

「立っておしっこすることできないの?」
「うん」
「それはそうやってするのが嫌なだけなのかな、それとも身体がなにかうまくできないような感じなのかな?」
「身体は普通だと思うんだけど、嫌なの。男みたいにするとか、そういうのが嫌なの」
「そっか、それじゃ仕方ないもんね」

先生は否定しなかった。
年齢的にもキャリアの長い年配の先生ではなかったが、私が意図することや含んでいることを正確に汲み取ってくれたのをよく覚えている。

「その先生との出会いはあなたにとって大きかったよね」
「そうですね、この先生がいなかったら、学校でトイレも行けない子供だったと思いますよ」
「その頃、立っておしっこできなかったのって、何がどう嫌だったんだろうね」
「私が女の子が好むおもちゃや物で遊んでいると、いつも母と姉が“あんたは男なんだから女みたいなことすんじゃないよ”って罵倒してきてたんですよね。母は父のことを引き合いに出して“男なんて汚らしい、お前も汚らしい男なんだよ”とかよく言ってたんです。それで男は汚らしいものみたいな意識がついたんだと思う。自分が女の子みたいになることを嫌がる様になったわけじゃなく、逆に自分が男であることが嫌で仕方なくなってたと思います」
「そりゃそうなるよねぇ。なんなんだろうな、お母さんは。お父さんとの間でいろいろあったのかな」
「そうだろうと思います。直接聞いてないですけどね」
「まぁその頃に植え付けられた意識で、男性は汚らしいみたいな強烈なイメージが出来ちゃってて、それがずっと残っていて男性と感じる様なシーンの一つとして男子トイレや、男の人が用を足してるところを受け入れられなくなった、っていうことなんだろうね。でも、息子さんがいるでしょ?小さい頃とかトイレに連れて行ったりして教えてあげたりするのは大丈夫だったの?」
「はい、それは大丈夫でしたね。男性拒絶も、相手が子供だったら全く問題ないんですよ。自分の子だけじゃなく、他人の子でもそこは平気なんです。二十歳くらいの頃に自分で思いついた対策があるんですけど、子供は全く問題なし、それ以外でも相手を自分なりにカテゴライズして役目や役割をつけてしまえばある程度大丈夫になりました」
「克服方法を自分で見つけたんだ。それは良かったね、だから院長先生とかは大丈夫なのね」
「はい、もう院長先生っていう役割としてカテゴライズしてるので、ぜんぜん大丈夫です」
「でも子供がトイレに行く時とかは一緒に男子トイレに入って行ったんでしょ?」
「はい、もうそれは苦痛で仕方なかったので、周りを一切見ない様にしながら、子供に話しかけたりして気を紛らわせていました」
「実際に男子トイレ、紳士用トイレに入ると、何かしら身体に反応が出るの?」
「吐き気がします。もう強烈に。子供が大きくなってきてからは一人で行かせる様にして、私は可能な限り我慢してましたね。膀胱炎になったこともありますけど、それでも紳士用トイレに入るよりはましなので」
「今もその状態っていうことだよね?」
「はい、そうです」
「ちょっとまだ先の話ではあるけど、性同一性障害の診断が確定して、女性化の治療を開始して、ある程度見た目が女性化したら、トイレも女性用を使う必要が出てくると思うんだけど、あなたにとってはそれは長年の苦しみを解放する一つの出来事になるよね」
「なりますね、相当大きな影響になると思います。出先で普通にトイレを使うことができるなんて、何十年もなかったわけですから」

私の様な人は他にもいるだろうとは思う。ただ、ここまで極端な例は少ないのではないだろうか。五体満足であることに感謝をしなければならないし、事情や状況はどうであれ私の性別違和は私個人問題であり、大きく言えば我が儘の一つとされるかもしれない。
ただ、当事者にとっては苦痛でしかなく、日常生活を営む上で外出を避ける理由にもなるために、何かがあって外出するということになった時、いつも踏みとどまる要素になっていた。
診断確定して女性化ができれば、そういった悩み苦しみからも解放されるのだろうか。

「小学校三年っていうのは、ある意味自分の性別を強く認識させられた大きな時期だったっていうことだね。ここで性別違和と性自認が決定づけられたのかもしれないなぁ」
「そうだと思います。この後から体育の授業なんかも着替えが男女別になりましたし、男と女って明確に分けられたので、自分はこっちじゃない、男と一緒は嫌だって凄く強く思っていました」
「そうだね、子供とはいえそういう意識は強く残るからねぇ。性教育の授業の後も、周りの女の子たちとはうまくやってたの?」
「全くかわりないというか、それまでそんなに仲良くしていなかった女の子たちからもよく話しかけられる様になって、それまで以上に女の子だらけの環境になりました」
「わかるなぁ、それ。周りの女の子にしてみれば、男子の中では特別な存在っていうか、女子のことをよくわかってくれる男の子っていう貴重な存在になってたんだと思うよ」
「そうなんですかね、そんな感じでしたね。それがその後の虐めに繋がるんですけどね」
「言ってたよね、虐めのこと。今日はこの辺にして、次回はその虐めのことについて話してもらえるかな」

小学校四年の終わりに起きたある出来事。それがきっかけになって五年生からは毎日虐めに遭っていた。酷い時期だった。このことも人に話したことがない。今日、ひとつ心の扉を開いたことで、話をすることに抵抗がなくなっていた。次回のカウンセリングで虐めのことも話せば、また少し心が軽くなる様な気がした。

病院を出て車に乗り込む。
黙り込んでいた彼女が口を開いた。

「次のカウンセリングもあたし同席させてもらいたいな」
「うん、いいよ。私もその方が嬉しいし」
「ほんと?よかった」

次は一ヶ月後だ。それまでにまた女性としての容姿を整えられる様に練習しなければ。

「おなかすいたね。なんか食べ行こうか?」

彼女の言葉で緊張が解け、おなかが空いてきた。
息子が帰ってくるまでまだ時間がある。
少し遠回りをしてもいいだろう。
海岸線へ向かって車を走らせた。

性同一性障害のカウンセリング 第三回

2020年06月16日 | 男から女性へ💁🏻‍♀️
「あら、いいじゃない、背が高いからスカーチョとかワイドパンツとか似合うわよ」

診察室へ入るなり、カウンセリングの先生が声を張る。
明るい口調、それだけでも気持ちがすっと楽になる。院長先生の診察とは違う空気感は、初めて女性の服装で来院した私の緊張を収めてくれた。

「先生すみません、さっき院長先生の診察も彼女に同席してもらったんですけど、カウンセリングも同席でいいでしょうか?」
「えっと今日は小学生の頃の話だったよね。その当時のことは彼女に話してあるの?」
「いいえ、話してないです。というか、今まで誰にも話したことないんです」
「なるほどね。彼女が一緒でも抵抗なく全て話せるかな?」
「大丈夫だと思います。知ってもらった方がいいと思いますし」
「そっか、じゃあ同席でいきましょう」

自分でも迷いはあった。誰にも話したことがない小学生時代のこと。母と姉からの差別、偏見、虐待、学校での虐め、集団暴行、幼い身体と心への深い傷。何もかもが辛く、記憶を反芻することは苦痛でしかない。でも今日、このカウンセリングで全てを話し、曝け出すことで前に進めると信じたい。

彼女とはこの数週間で急激に距離が縮まった。だからといって恋人ではない。お互い、口には出さないが、そういう関係ではないと思う。もっと深く、もっと大きな存在。言葉で言い表すのは難しい。ただ、彼女には私の全てを知っていて欲しいと思った。

「さ、では始めましょう。幼稚園の頃は叔母さんのところで過ごすことが多かったんだよね。あと従姉妹ね。小学校に入ってからもその環境は変わらなかったの?」
「はい、むしろ小学校に入ってからのほうが頻度は高くなりました。叔母と母の間でどんな話をしたのかはわからないのですが、小学校に入ってすぐ、叔母が“うちからのほうが学校も近いから、ずっとうちから通えばいいよ”って言ってくれて凄く嬉しかったのを覚えてます」
「そうだったんだ。でもお姉さんも同じ小学校だったんでしょ?」
「はい、そうです。あの、その頃から気づいていたんですけど、実際には叔母の家の方が少し距離があったんですよ。多分、叔母は本当の理由を誤魔化すために言ったんだと思います」
「そうだろうねぇ、なんかあったんだろうね、お母さんと叔母さんの間での話の中で」

自分で車を持つ様になってしばらく経った頃、当時住んでいた街へ行ったことがある。当時の家は取り壊されており、叔母の家も既に無くなっていた。
伯母の家があった場所の近くに車を停めて、小学校まで歩いてみた。当時の記憶そのままのところもあれば、全く違う建物、道に変わっているところある。小学校は明らかに伯母の家の方が遠かった。

「学校では仲のいいお友達とかはいたの?」
「はい、みんな女の子でしたね。男子とは話くらいはしますけど、休み時間に遊んだり、放課後に遊んだりっていうのは全くしなかったです」
「一般的なことで言うとね、そのくらいの年代から大抵は仲のいい子同士で数人の集団が複数出来ていって、男子は男子、女子は女子みたいになっていくのよ。あなたの場合はその時点でどういう感じになっていたの?」
「幼稚園の頃から仲良しだった女の子と、あとは他の幼稚園から来た女の子も仲良しになって、いつも一緒でしたね。母と姉がいる家と伯母の家は小学校を挟んで反対にあったんですよ。その二人の子は伯母の家側に住んでいたので、朝も帰りも待ち合わせていていつも一緒でした」
「それは仲良くなるよね、わかるわ、私もそんなことあったから」

先生が楽しそうに微笑む。皆、同じ様な経験があるだろう。

「どっちの子の家も私のことを気にしてくれていたようで、よくお家に呼ばれて遊んだり、お泊まりしたりしてました。二人とも伯母の家に泊まりにきて、従姉妹と四人で遊んだり、楽しかったです、そこにいる時だけは」
「そういえば、従姉妹も同じ小学校だったの?」
「いえいえ、従姉妹とは歳が離れてたんですよ。小学校と中学校が隣り合ってたんですけど、従姉妹は私が小学一年の時にはもう中学二年でした。七つ上なので」
「そうなんだ、その年頃での七つ上は相当お姉さんに感じるよね。従姉妹さんにしてみれば可愛い弟というか妹みたいな感じだったのかな」
「はい、大人になってからも何度か会ったんですけど、会う度に言ってました。“ほんと可愛い妹みたいで、あたしがずっとお世話してあげたんだから”って。嬉しそうに言ってくれてたので、私も嬉しかったです」
「いい関係だね、それは。従姉妹さんはわかってたのかな、あなたが性別違和を感じていて、心が女の子だっていうこと」
「たぶんわかっていたと思います。一度も男として扱われた記憶がないですし。私が高校に入った頃、従姉妹は結婚して関西に引っ越しちゃったんです。私は高校二年から一人暮らししてましたけど、従姉妹とはその頃も週末は伯母の家に帰ってきていて、私も頻度は少なくなりましたけど、それでも月に二、三回は伯母の家に行ってましたから、その度に従姉妹からからかわれてましたね、“なに男みたいな格好してんのよ”って」
「そこまで話せる仲だったんだね、ほとんど姉弟みたいな関係性だったんだろうなぁ。その頃、本当のって言ったらあれだけど、お母さんやお姉さんとは会ってたの?」
「会ってないです。そのために家を出たので」
「なるほどね。じゃあちょっと話を戻しましょう。小学校では仲良しの女の子たちといい関係で楽しく過ごせていたわけよね。周りの他の生徒から何か反感を買ったとか、そういうことは無かったの?」
「ありました」

誰もが経験があることだとは思うが、小学生になると大抵は男子、女子に行動が分かれ、それは授業など学校生活そのものだけでなく、遊び相手にしても話し相手にしても、全ての場で影響してくる。
そういう環境下で、男の子が女の子と仲良くしていれば“なんだよあいつ、女とばっかり仲良くして”という声が出てくるものだ。
私のことを入学前から知っている男の子は、私が女の子寄りの性格、性質だとわかっているので特に何も思わなかったのだと思うが、入学してから知り合った他の男子の中には、いつも女の子と一緒にいる私を面白くなく思っている奴も多かった。まして女の子たちもただ私と話をしたり一緒にいたりするだけではなく、男子に何かされたとか喧嘩した、意地悪なことをされたなどがあると、真っ先に私に言ってきた。私は問題の男子のところへ行き、話をするなり、怒るなりして問題解決をするというのがいつもの流れになっていた。
そういう様を見て先生達は私のことを正義感があるとか、優しいと言って褒めてくれた。私自身は特別なことをしたという意識はなく、悪いことは悪いと言っただけだし、女の子を虐めたり、女だからといって卑下されたり、嫌がらせをされるということ自体、許せなかっただけだ。

「まぁ先生達から見れば女の子を守ってるっていう感じに映ったんでしょうね。私自身は自分も女子のつもりでいたから、仲間を守ったみたいな感覚だったんですけど」
「そうだよねぇ。たぶん、その当時はまだ性別違和っていう概念や症状自体、一般的なものじゃなかったから、先生達もそういう認識がなかったと思うのよ」
「そうですよね」
「となると、他の男子からするとあなたって凄く女の子に人気がある風に映ってたんじゃないの?」
「はい。だから妬みとかやっかみだったんですよね」
「うん、そうだと思うよ。あなた自身も嫌がらせとか虐めとか受けたりしたの?」
「そうですね、ピークは小学校五年生の一年間でした。同じ学年のほぼ全員から無視されて、一部の男子からは殴る蹴るの暴行を毎日受けてました」
「そうだったのねぇ。辛い記憶だと思うんだけど、その頃のこと、もう少し詳しく話してくれる?」

この話をする時が来た。
硬く閉ざした心の扉の一番奥へ仕舞い込んでいた虐めの記憶。
この話をするには、先にあることを話しておかなければならない。

「はい、大丈夫です。でもその前に、小学校三年の頃の話をしないとわからないと思うので・・・」
「そうなのね、じゃあそのことから聞かせてくれる?」
「小学校三年の時に性教育の授業があったんです」

性別違和と性自認、自分自身が他の人とは違うと明確に認識した生々しい記憶。
少し後ろの椅子に座った彼女を見ると、涙で潤んだ瞳を私に向けたまま、ゆっくり頷いた。
先生は黙って、私が続けるのを待ってくれた。

「私、その頃から立ってトイレすることができなかったんです」

性同一性障害の治療を知る

2020年06月12日 | 男から女性へ💁🏻‍♀️
「性同一性障害の治療について知っていることはありますか?」

知っていること。
性別適合手術やホルモン療法のことだろうか。他にはどんな治療があるのだろう。
私のような女性へ性別移行する人間で思いつくことといったら、あとは豊胸手術や美容整形、脱毛くらいだ。それ以外の治療ってなんだろう。

「性同一性障害の治療というのは、手術やホルモン療法だけじゃないんですよ。実はこういった直接的に身体に手を入れる治療以外の部分が非常に重要なんです」

身体に手を入れる治療以外。
心か。

「簡単にいうとね、性別違和を抱えて生きてきたということは、自分の心の性別、本来の自分の性別だと思っている性に変わりたいわけです。でも実際にそこへ到達するためには、単純に体が変わるだけでなく、その性別で社会に適応する必要がある。こう考えるとわかりやすいんだけど、人ってその人がどういう人かを判別する時、まずは見た目からですよね?例えば、今の私を見た人は、白衣を来た男性医師と認識する。別に私が自分で“男性医師です”って言って回ってるわけじゃない。見た目で判断されるわけです。じゃあ性同一性障害の人が自認性別の容姿で社会生活を送る時、性別移行してすぐは別として、私は女性です、男性ですって言いながら生活しているか。そんなわけないですよね。自認している性別の容姿をして、生まれながらの性別で存在している人たちと同じようにその性別として存在していく。特別扱いなどではなく、ごく普通にね」

そうか、そういうことか。
私は自分の心が女性であると認識している。それはもちろん男としての自分が存在していることを認識しながらも、性格や性質、趣味嗜好、社会の上での役割などが女性的であり、自分の心が女性であると感じているからこそ、今こうして性別移行を進めようとしている。
生まれつき女性だったら良かったのにと思っているからこそ、ここで女性になろうとしているのだ。
実際に女性になれたとしたら、元男で今は女性になりましたと言って生活することを望んでいるわけじゃない。普通の女性と同じように振る舞い、そう周りからも認識されて、普通に過ごしたいだけだ。
それも治療の一環として含まれる、そういうことなのだ。

「そうです、そこが大事なんですよ。見た目はホルモン療法を開始すれば、徐々にですが数年かけて女性化していきます。既に成長した骨格は変化しませんが、胸は膨らみ、顔つきや目つき、体つきも、脂肪のつき方が変わっていくので女性らしくなっていきます。肌や髪質も変わります。髭は生えなくなるわけではないですが、伸び方が遅くなり、毛質も変わる。体臭も変わる。さらに脳も変化していきます。人によっては、空間認識脳力は下がっていき、競争心などの男性的特徴も下がり、逆に女性の特性として感情的になったり涙脆くなったりする。性ホルモンが身体に及ぼす影響というのは強力なものなんです。でもこれはあくまでもホルモンの効果。その人が元々持っている性格や性質が変わるわけじゃない」

性ホルモンの影響力、効果は凄いと聞いていたが、具体的に説明されると少し怖くなる。でも自分が選んだことなのだ。しっかり認識して、自分が望む方向へ進まなければならない。

「性別違和を抱えている人は、その時点で反対の性別の特徴を正確や性質として持っていますよね。あなたもそうでしょう。でも、それまで生きてきた中で、その性自認として生きてきたわけじゃない。どんなに反対の性別に同調し、同化していたとしても、それまでの生物学的な性別として生きてきた環境とそこでの振る舞いは必ずあるんですよ。そこを変える必要があるんです。具体的には、性別移行する人は、喋り方や発声、歩き方、仕種、そういうところを移行する性別に合わせていく必要があります。これがうまくいかないと、実際に移行後の性別で生活をする上で、不自然に映ってしまうわけです」

そうか、それも治療として考えていく必要があるわけだ。

「仮に見た目が完全に女性に移行できていて、誰が見ても普通の女性として認識されるようになったとして、足を開いて座っていたり、脇を開けて大ぶりな仕種をしていたら、男っぽい人に見えるでしょ?元が男であれば、それは周りからの認識でも男に見える。女装した男に見えるわけです。これを望むわけないですよね。ボーイッシュな女性や、女の子みたいな男の人、そんな程度には見えないんですよ。元の性別が出てくるんです」

話し方や歩き方、仕種、そういうものも病院で治療の一環としてやっていくのだろうか。

「ちょっと不安になりますよね、ここだけ聞くと。でも安心してくださいね。性同一性障害の診断が確定すればホルモン療法や性別適合手術ができるようになります。性別適合手術まで完了していれば戸籍上の性別を変更することも可能になり、完全に女性として社会に存在できるようになります。でもね、その前にもう一段階できることがあるんです。これが実はとても大きいこと。それが戸籍上の名前なんです」

戸籍上の名前を女性名に変更するのはそういう意味もあるのだ。
先生が今説明していることの意図と、名前の変更をするその意味の全容が見えてきた。

「戸籍名を変更したら自分の気持ち的にも凄く楽になると思っているんです」
「うん、そうですよね。特にこれから女性化を進めていくわけですから、それこそ見た目が完全に女性になったとしても、病院でフルネームを呼ばれる時に男性名だったら、好奇の目に曝されかねない。これは苦痛です。名前が自認性別にあったものに変わると、自覚が大きく変わります。自然と喋り方や仕種、振る舞いもその性別に合ったものに変わっていく人が多いんですよ。ただ、じゃあそれで充分かと言ったらそうじゃない。だから治療の一つとしてそこを身につけていく必要があるんですね」
「先生、それはこの病院で治療としてやっていくんですか?」
「まずはカウンセリングでその辺のことも話していくのですが、これはご自身で学んでいくものなので、意識して周りの女性を観察したり、仕種を真似たりしていくということも必要ですよ。もちろん、病院も協力しますし、最近は発声や仕種を教えてくれる専門のカウンセリングルームもありますからね」

専門のカウンセリングルームもあるのか。それだけ性同一性障害の人が増えてきているということなのだろうか。行くかどうかは別として、どんなところなのか知っておきたい。

「今日はこの辺にしましょう。この後はカウンセリングですよね。さっきも言いましたけど、私とは未来について、カウンセリングでは過去についてを話していきます。客観的に自分と向き合うことってなかなかないものです。単に性同一性障害の治療の一環としてだけでなく、これまで抱えてきたいろいろな想いや葛藤、悩みや苦しみ、そういったものを解消していく機会になるかもしれませんので、しっかり向き合ってみてくださいね」

ロビーのソファへ戻る。
先に診察室を出た彼女が、飲んでいたミルクティーを差し出して微笑んでくれた。
次はカウンセリングだ。

三回目のカウンセリング。
今回は少し先のこと、小学生の頃の様子を話すように言われている。
気が重い。でも話すことで自分から切り離すことができるような気がしていた。

一つひとつ越えていく。
これまでの人生を全て覆すようなことではないかもしれないが、振り返らずに進んできた道を反芻するのだ。不安にもなるが、その先に、乗り越えたその先にある新しい自分の人生を描かなければならない。

記憶を巡らせている私の手を優しく握る彼女の手があたたかい。
今この時を乗り越えるために、深い静寂へ入っていった。