ジャパリ星雲 トキワの国

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「おそ松くん」六つ子"無個性"問題

2023-04-22 20:01:00 | 赤塚不二夫
とても良くないことが起きているかもしれない。




少し前のことだ。
いつものように「赤塚不二夫公認サイト これでいいのだ‼︎」(以下、公認サイト)を見ていたのだが、「え?」と思ってしまったのだ。

公認サイトでは、「キャラ検索」のコーナーと、作品ごとの個別ページにて、作品に登場するキャラクターの紹介がある。

そこの、「おそ松くん」の六つ子の紹介文が、大幅に変わっていたのだ。
以前までは一人一人にちゃんとした説明があったのに、ひたすら「無個性」「順番不明」な内容になっていた。


内容が変わることなんてよくあることじゃないの?と思われるかもしれない。
しかし、僕はこれに対して、大変よろしくないものを感じた。
しかも、単なる好き嫌いなどにとどまらない、由々しき問題を含んでいる可能性すら浮上してきた。


先にかいつまんで簡潔に述べておくと、
故人である赤塚先生の言葉が捏造されている可能性があり、しかもその上で赤塚先生のご意向が蔑ろにされている可能性さえあるのだ。


今回は問題提起として、それらについて語り、説明していきたいと思う。

できるだけ知ってもらいたい内容ではあるが、フジオプロさんや「おそ松さん」に対して厳しい言葉が並ぶことになる。そういったものを見たくない方は、決して無理はなさらないでいただきたい。


また、より理解を深めてもらうためにも、今回知り得た情報などは極力省略せずに書くので、結構な長文になる。全ての情報が重要なわけではないので、飛ばし飛ばしに読んでもらっても問題はない。重要なのは証拠よりも結論である。



1.六つ子は本当に無個性なのか
2.赤塚先生は本当にこんなことを言ったのか
3.「おそ松さん」に支配されゆく「おそ松くん」
4.純粋に、紹介文として




1.六つ子は本当に無個性なのか

そもそも何故このような書き換えが行われたのか?なんとなく想像はできる。
元々の紹介文は、1人ずつ個別にちゃんとあったものの、中には実際の作品では読み取れないような、名前からその場で考え出したかのような内容が含まれていたのも確かだった。自分もその一部に違和感がなかったと言えば嘘になる。それを見つめ直して、より実際の作品に合わせた内容にしようとしたんだろう。

しかし、それにしたってこれは極端ではないだろうか。
六つ子に対して「六つ子であること」以外に価値を認めないような、投げやり・愛がないと思われても仕方のないような文章にしてしまうのは、理解に苦しむ。


「おそ松くん」の六つ子は本当に無個性だったのか?各々に差異はなかったのか?
これについてははっきり「ノー」と言いたい。

主に連載前半の頃は結構書き分けられていた。全員同じに見えて、一人一人に少しずつ違いがあるのが六つ子の魅力のひとつだと思っていたのに、それを否定するような声明が公式に出されてしまうのは残念と言うしかない。我々が六つ子に感じていたそれぞれの魅力は何だったんだ?

そうした六つ子の性格の違いは、読者側が勝手に感じているものではない。当時、正式に回答されているのだ。

1964年、少年サンデー誌上で始まった「おそ松くんニュース」というコーナーでは、まさに「六つ子の性格は?」という読者の質問があり、それに対して「性格設定なんてないよ」などと投げ出されることなくきちんと一人一人説明されている。

一松 いちばん、まじめ。
チョロ松 調子がよく、すばしっこい。
十四松 おとなしい。
カラ松 のんきもの。
トド松 あわてん坊。
おそ松 あばれん坊だが、人にすかれる。


これは作中描写と照らし合わせてもほぼギャップのないもので、この回答のために適当に考え出されたものではないと見ていい。
この記事は、竹書房文庫の巻末「ハッスル通信」にも再録があったし、「CRおそ松くん」での紹介文も一部これを参考に書かれていた。埋もれているようなことはないはずだし、間違いなく明確な設定である。これを使っても何の問題もないのに。

そして僕は、赤塚先生が直接六つ子の性格について語っているインタビュー記事を昔フォロワーさんに見せていただいたのを覚えていた。
これを機に確認をとったところ、「週刊平凡」1966年2月17日号とのこと。
以下、抜粋の上引用する。
尚、「芥川」とはインタビュアーの「芥川隆行」氏である。

芥川 赤塚さんはそれぞれちがった性格を、つかんでるんでしょう?六人の。
赤塚 ぼくのなかでは、六人の性格もぜんぶちがうし、それぞれイメージもってるわけです。ですから、それぞれの事件にあったひとりを登場させるわけです。
たとえば、動物をやっつけようってことになると、乱暴なカラ松にやらせますし、かわいそうだからやめようよ、というのは十四松、自然に性格がでますね。
おそ松 六人のなかで、ぼくがいちばん好かれるんだね。
イヤミ ミーざんす‼︎(胸をはって…)


そう。赤塚先生は6人の性格が違うと明言しているのだ。


連載後半、イヤミやチビ太らの活躍に押されるようになるとそれぞれの書き分けが少なくなるのは事実。しかしこれは違いが消えたわけではなく、区別する隙が少なくなっただけだと思う。現に引用した記事が出た1966年というと、もうイヤミやチビ太たちも目立つようになっている頃である。

連載が終わってかなり経ってから出た「ニャロメの血液型大研究」(1984)でも、六つ子たち自らによる「六つ子はみんなA型だけど、性格はみーんな違う」という旨の台詞がある。

まだちゃんと読んだことのない身で語るのもなんだが、赤塚作品としてはかなり末期の作品にあたる「シェー教の崩壊」(『ビッグゴールド』1996年1月号)では、一部で有名なとあるシーンにおいて、「チョロ松」がピックアップされている。ここで「チョロ松」が選ばれているのは偶然ではないと思う。妙に暴走しやすい傾向のあったチョロ松がこういったシーンをやるのは六つ子の中だと個人的にもしっくりくる。かつて赤塚先生も語った、「それぞれの事件にあったひとりを登場させる」というのは晩年まで健在で、随分経ってからも赤塚先生は六つ子をきちんと区別していた、と考えていいように思う。


1997年に開催された「まんがバカなのだ 赤塚不二夫展」、現在は図録で出展作品を確認できるが、これの「キャラクター名鑑」ではイラストと文章で赤塚キャラたちが紹介されている。こちらでも六つ子は、各々一言ずつではあるもののそれぞれの特徴とともにきちんと区別されて紹介されている。文章自体は赤塚先生ではなく監修などを担当した綿引勝美氏によるものとみられるため、その内容がどこまで赤塚先生のご意向に沿ったものかは不明瞭だが、「赤塚先生の晩年まで、六つ子はきちんと区別されていた」という裏付けにはなるだろう。
そしてこちらの内容だが、実は公認サイト上で元々あった六つ子それぞれの紹介文と、結構合致する部分があるのだ。先程僕は「名前からその場で考え出したかのような内容」と評したが、あれは実際には公認サイト上で本当にその場で考えられたようなものではなく、赤塚先生の生前からある程度合意のあった内容で、あながちいい加減なわけでもない…と考えることもできるのだ。



サイト上の紹介文を改訂すること自体が、悪いことだとは思わない。
しかし、だからといって「ハイ‼︎無個性無個性‼︎」で片付けてしまうのは、断じて違うと言わざるを得ない。
赤塚先生に対しても、キャラクターに対しても、敬意が感じられない。
「設定上」に過ぎないのだとしても、一人一人の違いを認めていた方が、ずっと良かった。

というか、赤塚先生ご存命時からある「公認」サイト上で、赤塚先生の没後にこう言った書き換えを行うこと自体、いかがなものかと感じるのは僕だけだろうか。
キャラクターの紹介文がサイト上でいつからあるものなのか、というのは今となっては確かめることができないことではあるが…。

…余談的に追加で言わせてもらえば、サイト内で改訂を行うなら、「もーれつア太郎」のページでなぜか一度きりしか当時していないブタ松の妹がいて
レギュラーである×五郎がいないこととか、そういう明らかにおかしい部分をなんとかするのが先ではないだろうか…。




2.赤塚先生は本当にこんなことを言ったのか


僕が一番重く受け止めているのがこれだ。

書き換えられた紹介文のうち、「おそ松」の項目において、"赤塚センセイ"の言葉として「それぞれの性格なんか知らない」と書かれているのが非常に気になっていた。

これは、いつ、どこでの発言だろうか。
赤塚先生は、本当にこのような発言をしたのだろうか。

前項で述べたように、赤塚先生はちゃんと6人を区別して描いていたし、はっきり「六人の性格もぜんぶちがう」と明言していた。
そんな赤塚先生が、「それぞれの性格なんか知らない」なんて真逆の発言をするとは、とても思えないのだが。
鬼籍に入られて10年以上経って、突然こういった発言が発掘されるというのも不自然である。


こうなると疑わしくなるのが、この発言が捏造されたものであるという可能性だ。

つまり、赤塚先生はこんなこと言っていないのに、さも言ったかのように書いてあると。


故人の言葉を捏造することそれ自体が良いことではないのは言うまでもなかろう。

もし本当にそうだとしたら、記述を正当化するために、でっち上げてでも赤塚先生の名前を錦の御旗として使っているわけで、それは非常に卑怯なことだと思う。
そんな風に故人の名前を都合のいいように利用するのが今のフジオプロということにもなりかねない。

そして、そうして齎される結果が、実質的に赤塚先生のご意向に背くことにもなるのだ。

断言ができないのも事実ではあるが、発言のソースが不明な上捏造だと考えられる根拠がいくつも存在する以上、その体で語るしかない。

もし仮に、本当にどこかで赤塚先生がそういった発言をしていたのだとしても、それは「後年になって忘れていた」というだけのことである。
少なくとも連載当時には赤塚先生は「六つ子はそれぞれ性格が違う」としていたのが紛れもない事実である以上、それを尊重せずに一部のみを切り取って印象操作のように赤塚先生の名前を使っていることにかわりはなく、どちらにしたって褒められることではない。
そして先に述べたように、後年になって忘れていたということさえ考えにくいというのが実情である。


3.「おそ松さん」に支配されゆく「おそ松くん」


書き換えられた文章が、どう見てもあきらかに「おそ松さん」を意識したものになっているのも、非常に鼻につく。

やたらと「無個性」を強調し、順番が不明だとか書かなくてもいいようなことをわざわざ書き…。
そしてそれが、上記2項目の問題にも繋がってしまったわけだ。

僕は基本的には、「おそ松さん」は好きだ。
しかし同時に、快く思わない気持ちも、開始以降ずっと抱いてきている(この辺りも、いずれこのブログでまとめたいと思っている)。
自分に縁もゆかりもない作品なら、完全に「好きにやってくれ」と思うけど、おそ松さんは思い入れも敬意もある「おそ松くん」、そして赤塚不二夫先生が関わった作品だから。どうしても、色々気になる面が出てしまう。
でもやはり、「おそ松くん」と「おそ松さん」が別の作品であることも間違いなかったし、おそ松さんはおそ松さんで好きにやってくれれば、という気持ちもなくはなかった。
しかし、こんな風に「おそ松さん」が「おそ松くん」に影響を及ぼしてくるのなら、さすがにどうなんだと思ってしまう。


そもそもとして、おそ松さんが始まる前は、六つ子について「見た目が同じ」と言われることはあっても、「性格まで同じ」という風に言われることは、まずなかったはずだ。


六つ子の性格はそれぞれに違う、という描写や説明が多々あったことは前述の通りである。


1988年から放送されたリメイク版アニメ「おそ松くん」の本編中で、六つ子が「無個性集団」と揶揄されることがあったのは例外として挙げられるかもしれない。
具体的にどう「無個性」なのかは一切言われていないので憶測の域を出ないが、まずルックス面は間違いなく無個性であるし、キャラクター面についてもこれはイヤミら強烈な個性のあるキャラに押されて主役としての地位が危うくなっている六つ子の、あくまでイヤミたちと対比しての「キャラの薄さ」を言ったもので、「一人一人に差異がない」という意味合いはないと考えている。
平成版おそ松くんの六つ子は、原作の連載後期に近いイメージとなっているため、性格面のことを言っているのだとしてもやむを得ないし、あくまで"揶揄"したものである。



これがわかりやすく表れた例がある。
おそ松さんの情報公開の直前あたりの時期に出たムック「赤塚不二夫80年ぴあ」では、六つ子について「兄弟を見分けることは出来ないが、個々にキャラクターが違う」とし、各々の説明がある(ただしその内容は当時の公認サイト上のものに基づいている)。
対して、おそ松さん放送翌年に出た「Pen + いまだから、赤塚不二夫」では、「性格的な違いは、ほとんどみられない」と、急に性格が同じという面に触れるようになっている。見た目が同じであることについては触れさえせず、なぜか性格のみに着目している。


「おそ松くん」では、六つ子は同じに見えて1人ずつ少しずつ違う、というスタンスだったのに、「おそ松さん」でオリジナルかつ明確なキャラ付けがされたために、「おそ松くん」の六つ子が性格面まで同じに"見えるようになってしまった"ということだと思うのだ。


本来ならアニメ側を従わせる立場にあるはずの原作サイドが、一派生作品に過ぎないはずの「おそ松さん」側に合わせられていくような、どんどん支配されていくような感じがして、いい気持ちがしない。


4.純粋に、紹介文として


理屈抜きにして、純粋にキャラクターの紹介文として味気ないし、変な文章になってはいないだろうか?

鉄則だのなんだのと言って、変なものに縛られてアイデンティティが認められないのが六つ子なのだろうか。
そんな「鉄則」こそ、作品中では見受けられないものだが…




以上、ざっと今回の問題点についてまとめた。一部、感情に基づくものも含まれてはいるが、ご理解いただけたらありがたいのだが…。

今のところ、公認サイトには意見や問い合わせなどを送る専用のフォームのようなものがないようだ。その分、ブログ上にてこうして自分の意見・感情を書かせていただいた次第である。もっと他にできることすべきことがあるかもしれないが、ひとまずはブログを選んだ。


やはり、恩恵も計り知れないほど受けているフジオプロさんに対して、こういった言葉を並べるのに心苦しさがないと言えば嘘になる。
しかし、お世話になっているからこそ、好きだからこそ、駄目だと思うことにはちゃんと駄目だと言うことも重要だと考えて、こうして書くことを決めた。
今後の動向次第では、自分もそれなりの対応はしたいと考えている。


「公認」としつつも本質的には「公式」であり、影響力も大きいのだから、こういった問題点はなんとかしてもらいたいものだ。



この件以外にも、赤塚作品の未来は明るいだろうか…と感じてしまう件は、複数ある。
本当に、良い方向に向かってほしいものだが…。


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4 コメント

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Unknown (tanu_emon)
2023-04-27 00:19:19
バーモントカレーさん
ありがとうございます。
こちらのブログは不定期更新ですが、楽しんでいただけたら幸いです。
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Unknown (tanu_emon)
2023-04-27 00:18:04
Unknownさん
ありがとうございます。
やはり、今回の件は良いことだと思わないので、そちらも視野に入れつつもう少し色々考えてみたいと思います。
返信する
Unknown (バーモントカレー(甘口)大好き)
2023-04-26 06:49:34
はじめまして
バーモントカレーと申します。
みんなアニメ化しました。どれも好きでした💕
フォローさせて頂きますね。よろしくお願いします🙇‍♂️
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Unknown (Unknown)
2023-04-26 06:32:35
問い合わせフォームの形式は無いですがサイト運営問い合わせメールの宛先は利用規約ページにありますね。
メールが嫌でしたら運営会社に郵便でおくってもよさそうですが。
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