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緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

葛藤する

2022-05-11 | スピ的視点
  無理やり良い人間になろうとして頑張り過ぎると自分の中にも葛藤が起こるという話をしていましたが。
その「善い人間になろうとする」という事に気づいていない人もいます。
確かに私ももっと若い頃は人に何でも合わせる方でした。

その時は自分の事を自分で知らない時でもありました。
心も体も元気だったからかもしれない。
何でも押し切るパワーがあったんでしょう。
心も若い頃は何でも突破できたからです。
溜める容量もあり、無意識に溜めてきていたんでしょう。
争いごとも嫌いだったし、怒られるのも怖かったので、
人に合わせている方が楽でもあった。

精神修養と自覚したのは本当に色んな事が結婚してから始まったようです (^.^)
自分の心を知り出し、自分の魂を知るようになると
自分の外側とも内側とも葛藤や矛盾や違和感を感じるようになりました。

人間みんな同じ、みんな良い人だと思っていた事がドンドン崩れて行ったからです。
そして、母親からの一方通行の思いや考えで心を通わすという事を知らなかったからかも知れません。
受け取る一方通行。溜まる一方。

結婚当初に姑さんからいろいろ言われて、
それが自分にとっては初めての事ばかりで
自分の中に無かった世界だったので、
オットにもこんな事言われたけどどういう事やろう、
どうしたら良いんやろうって聞いていましたが…
オットは「言わしとけ!」「ほっとけ!」「腹に無いねん!」と言うばかりでした。

そのオットの言葉にある時ふと私は、
お義母さんの腹には吐いて無くなるかもしれないけど、
それが全て私の腹に残るやんって思ったんです。
それでもどうしようもないので自分で考えるようになりました。


自分で考えるようになると、
自分の中にその矛盾や違和感が出てきて
自分の中で葛藤が起こるようになったんです。
ある意味自分の中で答えを出したり、
自分の価値観が変わって行ったり、
自分の意見が言えるようになったりしたんで
凄く良い事だと後になっては思いました。


その反対に言葉で吐くだけの人はどうなんだろうと思うようにもなりました。
自分の考えや思いや意見が正しいと決めつけ
それを吐くだけ。
それで満足感を得られるのかなと。


言葉を交わし合って初めて理解も生まれるし、
理解し合って初めて心が通い合う。

何でもイイよ良いよと受けとめてあげるのはある意味簡単だけど…。
まあそれも難しい人もいますが。
自分の考えや思いを決めつけ頑固に通してその人の心は満足なのか…。


昨日の話では無いですが、
自分の中の葛藤がストレスとなり、病気にも痛みにも現れる。
うちの母親もだけど、お義母さんも病気を多く抱えていました。
40歳で最後の子供(義弟)を産んだ後に糖尿病になり、
心臓の不整脈で後半はペースメーカーも入れて、
それも中々上手く作動してもらえないという。
高血圧、それに、糖尿病でも早くからインシュリン打っていましたし、
それにより目の血栓、白内障、足指の壊疽
最後にはすい臓がんで手術に至り、術後意識不明
そこから奇跡の回復だったけど、
我がままが最高潮となり、先生や看護師さんを困らせ、
もう最期かもと言われながら復活して
我がままとせん妄と認知を織り交ぜ自身の中で葛藤だったんでしょう、
そこからの5ヶ月程の最期を遂げました。
最終、ここの病院に入院したら最期だとご近所の人の話で知っていたみたいで、2週間ほど家に帰りたいと我がまま言っていたんだけど、「私ここで頑張るわ」って言った夜に亡くなりました。


色々病気になった時にも葛藤していたと思うけど
どれだけ自分の我を通そうとしていたのか、
その反対に我慢もしていたと思うけど、
我慢も究極になれば傲慢です。
もちろんいつも思うけど、決して人間が悪い人では無かったんです。
気弱で優しい人でもありました。
決して「ありがとう」を言わない人でした。
私が何をしてあげたとしても「すまんな~」とは言うけど
「ありがとう」は言われた事がありませんでした。
最期の日も何度もですがお姉さんが2時間もかけて車で見舞いに来てくれていてもです。
葬儀の時にお姉さんが最後まで有難うって言わん人やったわって笑っていましたが。
子供達にも素直じゃなかったのかも知れません。


お義母さんが抱えて向き合わなかった病気や痛みを思うと、
色々教えてもらって気づかせてもらった事があります。
人生でもあるし、夫婦の関係や家族との関わりも観えてきてました。
全てお母さんの中の心と繋がっていたとも思うし、
葛藤があっただろうと理解できました。

30代ぐらいの時、私はそのお義母さんの一方的な押し付けに悩んで考えて、どうしていいか分からなくなった時、
天の神様に向かって「私は義母を受け入れるだけの大きな器の人間になりますのでちょっと義母との案件を預かっててくれますか」とお願いし、
義理での付き合いは止めようと決心しました。
やってあげたい事、やらないといけない頼まれ事だけやろうと決心したんです。
自分の心に正直になれる事だけやろうと決めたんです。
だから全然苦労はしませんでした。
嫌いでは無かったし、
ある時からは独学の心理学の教材みたいな感じでした。
お蔭様でという感じです。
息子(オット)より義母の事を理解できていると思います (^.^)

親や先祖たちが葛藤を繰り返して納得できないままこの世の命を終えていると、我が子達にもその葛藤の歪みが伝わると思いました。
そのまま子育てもするし、
その葛藤の愛もそのまま伝わるし、

それが先祖代々という事にもなります。
どこかで誰かがそのバトンリレーのゴールを切らないと。
自分の葛藤に気づくという事は子孫にも真実の愛を伝える事となるのかなと。


という事は、そこで先祖代々が途絶えたとしても
それは神様の使命を全うした事にもなるのかも知れません。
わざわざこの世のしきたりの結婚の儀式をして
子孫繁栄に加担しなくても良いのかも。
動物的生殖本能からも自由になれるのかも知れません。

などと思うので、あまり我が子には結婚結婚とせかして言わないという私です(^^;)
全てはなるようになる。
今ある自分の中の葛藤と向き合う方が幸せの道かも知れませんね (^.^)
私自身も独身の時には「旦那は要らんけど子供は欲しい」という思いが強かったです。
それを思い出したのは三人目の子供が生まれた後でした (^^;)
最初からそうしていると自分の中に葛藤も出来なかったかもしれないし、
別の葛藤で学びも気づきも違っていたかもしれないけど。
全ては必然です。
こんな事にも深い意味が、人生の意図があったんだと思ってます(^^;)
心の人生設計も在るという事です。





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