昨日の記事では、自分の人生を最後の最後まで自分で選択決断して覚悟して自分でプロデュースするか、ケアマネにプロデュースしてもらって自分の意志のないところを生きて終わるかという話をしていました。
年老いたら仕方がないと思っている今の自分の意識を元気なうちに変えたいと思いますね
どうなるか分からないなら「こうなる!」と今の間に決断していた方が良いかと。
「こうなる!」と信じながら生きるという事、
信じながらという事はそれを道の先の光として、何があってもそのように立て直していく生き様です。
だから……その人の死に様はその人の人生そのもので生き様だと言われる由縁でしょう。
もしか自分のまわりで、家族身内の死と向き合った時にその人の死に様や生き様を観た時、自分はどう生きたいか、どう死にたいかと考えると思います。
良いからとか悪いからとかではなく、自分の意志を考える。
同じようになると思うか、全く反対の生き方を望むか、全く違った事を考えるか。
一生懸命に考えた時は、その目の前の人の生き様も尊重してあげれるようになると思うし、
人生を見せてもらった事に感謝すると思います。
それが供養かなと思うし、弔う事にもなる。
そうやって先祖や親は代々生き方、生き様も見せてくれたんだと思う。
死に様だって教訓として受け継がれていくのかなと。 (^.^)
そうやって自分の意志を持つという事を教えてくれているのかなと !(^^)!
これは肉体間の親子や夫婦とかの会話を超えた魂の会話です。
魂の会話というよりもっと奥深い潜在意識からのテレパシー的対話 (^.^)
先祖や親や家族の死は単なる形や儀式の遂行だけではない。
肉体は火葬する事でお終いですが、魂の意識は残っている、
だから子孫は一生懸命供養するのですよね。
お墓や仏壇を大切にするという事も本質はその魂を継いでいくという事。
肉体が魂であるという事を伝えてくれている。
大切な人が亡くなってから大分永く経っていても
今気が付いたとしても、
その人の生き様死に様から魂の意識を受け取ることはできます。
そして自分の意志として生き方に活かしていくと素晴らしいかと !(^^)!
まあそれに……自分の生き様や死に様だって、子供や孫に影響を与え魂のテレパシーを送ることだってすると思うとしっかり自分で決断して自分の意志で生きないとアカンなと思います。
最期の死に様もカッコよく見せたい !(^^)!
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