人の話って興味ない事もあります。
関係ない事もあるでしょうね (^.^)
私が話す見えない世界の話でも興味深く感じる人や全然興味がない人も、
生きるとか悟るとか死ぬとか死後とか
必死に生きている人にとっては不快に思う人だっているかもしれない。
本当は凄く関心持って良いはずなのに何気に避けている感じも。
関係ない事もあるでしょうね (^.^)
私が話す見えない世界の話でも興味深く感じる人や全然興味がない人も、
生きるとか悟るとか死ぬとか死後とか
必死に生きている人にとっては不快に思う人だっているかもしれない。
本当は凄く関心持って良いはずなのに何気に避けている感じも。
凄くセンシティブな部分でもあるしね。
それでも出逢った事とか目の前にやってきた出来事は偶然でもなく、必然であるといわれるように、
この人何言ってるんだろう、何書いてるんだろう、何話しているんだろうと感じたとしてスルーしたとしても
魂はちゃんと聞いているし、
魂はちゃんとうなづいているし、
理解している事もある。
だから答えが出るまで何度でも同じことが起こるし
同じ話を聞くのですよね (^.^)
私の場合も神様や仏様という事を対象にしていた時には
その世界観だけの中や枠組みで既に人類の概念は決めつけや思い込みが働いてしまっているので、区別や境界線での対象で見ていたけど。
ある時から人類や神様を越えて宇宙や細胞や波動やエネルギーという世界観でいろんなことを考え出してからは全てが繋がり全てが腑に落ちだした広く大きな世界だと思えるようになりました。
今や世の中では神様も仏様も、宗教の枠と捉えられるようになってしまっているので、その枠を超えるのはたいそうな事になってしまいました。
その宗教枠で言うと既に破綻して崩れかかっているので、人類が何を信じていくのかという枠へ広がり、
自分の中心を持っていないと進みづらいようになっています。
それぞれの学問や哲学はバラバラで別々だけど、
それぞれの証明は進み繋がりを感じます。
その広い世界をこの世に活用しながら必然と共に生きるにはいろんな体験が必要です。
全てを完璧に証明する事は出来ない事だと思っていますが、
人間では心や魂がその証明の対象となるんだと思っています。
その証明への過程で行動や出来事やコミュニケーションといった経験で繋がりを感じる事が証明へと通じ、この世の真理を信じる事へ通じているのかなと思います。
見える世界と見えない世界は全ての分野で繋がっている。
興味がなくても繋がっている事は確かかな (^.^)
魂は一つです (*^^*)