昨日は、自分が無意識にあたふたとしている時の話をしていました
心のスピードと事が進むスピードが合わない時ですよね
でも、そんな時でも「俯瞰している自分」だったり、他の表現で言うところの「もう一人の自分」(魂)は見守ってくれている
そしてもっと堂々としている
だって魂が導いてくれているし、魂がそうさせているんだから
私なんかもたまにそんな魂に言ってやる (^.^)「もっと解りやすく、もっとスムーズに、もっとお手柔らかに!」って (^^;)
なんて私の魂はエキサイティングなんだと…思ったり(笑)
これっきしの事でか!?って返ってきそうですが (^^;)
こんな感じで肉体の自分と魂の自分のやり取り…常に普通に誰にでもある
私が他者の魂とセッションした時にはたまに肉体のその人と心の通い合いがなくてふてくされたり、いじけたり、すねてしまって傍から離れている魂もあったし、ふて寝していたりもあった
最初はそれがどういうことか分からなかったけど、魂というものの存在をどんどん知って行く上で理解していった (^.^)
たまに私の魂も寝てないかなって思ったり、私の事見放したりしてないかなって思ったりする時もあった、今でもたまに (^^;)
そんな時に…もっと相談しながら出来ないかなって思いますよね
相談したいし、コミュニケーションとりたいって思う
自分の魂でも…自分の魂だからこそ…理解したいし、分かり合いたい
それは…自分から心寄せて行かなといけないって事なんですよね (^.^)
人の心分かる前に自分の魂の思いを知りたい、心通じ合いたい (^.^)
自分の一番の味方だから… (*^^*)
今年もいろんな事を気づかせてくれるでしょう
たまに気づくのに鈍感だったら痛みもあるかも知れないけど、それも魂からの愛だと知ってる
痛みほどわかりやすいものは無い
その酷くならない越えられる絶妙なところも魂ゆえのタイミングと加減
今年もそのええ加減で自分の味方を信じる私です
あまり痛いところないけど、痛みというのは例えだからね、肉体の変化ですね…私には私への気づきに気づく
という事で (*^^*)
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