緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

命の尊厳…

2021-05-23 | 人生観
  ずっと人生のゴールという話をしていたのでやっぱり命の事を

と言っても、よくブログ記事でもすでに何度も話しています

死後の世界とか…

昔、丹波哲郎が「死後の世界」「大霊界」という言葉をテレビでよく使っていましたが

そんな時にもそれぞれに受け止めたでしょうね

私なんかはそんな時にちょうど霊能者の人と出会ったぐらいでしたので、あ~やっぱりなんて思っていました

やっぱりそれからは時代と共に世の中の概念も個人の概念も進化しているので少しづつ違ってきているでしょうか

怖いものだとか、幽霊だとか、怨念だとか

目に見える死体のイメージがイメージを歪めているんでしょうか

私達の先人たちが後世に意識付けていき、思い込ませていきました

ホントこういう意味では先人たちの影響がどれだけ凄いかという事です

たとえ正解だとしても間違っていたとしても影響は大きいもんです

受けとめてまた次の後世に伝えていく繰り返しです

こんな事も自分で考える事を避けてきて、ナイーブで繊細な話だからですよね

でもナイーブで繊細な話だと思い込んでいるのも思い込みです

でも中々脳の思い込みこみは消せるものではないし、上書きできるものではないです

余程のことがない限り

自分で確認するのが一番でしょう

かと言って、どうやって確かめるの?ってなりますよね

どこまで行ってもそうなります (^_^;)

まあひとつには坊さんがいて、葬式という儀式が在るから歪んで行ったと思います

結婚と同じです、結婚式や指輪や誓いの言葉が在るから歪んで行くんです

囚われて呪縛を自分で作ってしまう

そこから自由になるのが本当の人生なんだと思うんですが

「死ぬ」なんて簡単に言ってるなこやつは…って感じでしょうか

それは昔から言われていた言葉、「死ぬなんて罰当たりな言葉を言っちゃいけません」なんて言われた言葉

神様が怒るよ!とか罰当たるよ!と言われながら、そこに意識していると幽霊やお化けをみて、ホントだと信じてしまう

だからしっかり弔わないといけない、粗末に扱ってはいけない

命がある時に自分の肉体を粗末に扱っていないんでしょうか

そして世の中はそんな事と反対に命の尊厳というものを考えることが少なくなって行っています

ちょっと前にはゲームのせいだと言われたりしました、ゲームのキャラクターを戦わしても、何体亡くなってもまた復活したり、リセット出来たりするイメージが脳を上書きしていったんでしょうか

それに、昔は親姉弟の為に生きていたり、恨みを晴らしたりしていた時代があったのに、近年では親姉弟の命まで殺めてしまうという

幼い我が子までも殺したり虐待したり、

そして理由もなく無差別殺人だったり、動機もただ殺したかったという倫理もあったもんじゃない

まあ昔から子供がたくさん産まれて経済的にという理由からお腹の中の命を堕ろしたり、命をコントロールしたり

最近に至っては尊厳死という事をめぐって考える機会を与えてられる、実際に外国では行われたり、日本ではまだ認められていないので殺人となったり

全ては人類が命の尊厳を考えるきっかけとなるメッセージでもある

命って…在るのが当たり前、生きているのが当たり前になると見えないものです

見える世界に生きていると目の前の見えるものしか意識しないようになってしまっている

本人や家族が入院した時に初めてベットサイドモニタで自分の心電図や心拍や脈拍などの波形を見た時に動いてると生きてると感じるんでしょうか

若い人がリストカットするのも生きているかどうか試すためにでもあると聞きます、自分の存在を確かめたいと。

命が生きて生命で、その生きる力が生命力

これは与えてもらっているモノ

女性はお産という神秘体験をしたから命を実感してると思うけど、そうでない人もいますね

命は神秘で、尊いものだと思いますが

その考え方と使い方が分かっていないのかも知れませんね

だからこそ昔から教育や道徳、宗教というものがあったと思うけど

ただ生きているだけだから、使命も無く現実逃避してしまうのでしょう

与えられたからこそ使う事が出来るという使命(命を使う)

そして命に心があるということ、

どちらかだけではない

もっと真剣に考える時なのかな…

そんなタイミングはいつでもやって来ている

戦争の時も災害の時もそうで

今のコロナ禍でもそうでしょう

得体の知れないものにコントロールされると思うなら自分の意思を持っておきたい

たまたまニュースで観た

コロナに感染して自宅待機の高齢の母親が病院にも搬送されずまま自宅で亡くなったと…

そして病院で亡くなれば医療従事者がご遺体を袋に入れて葬儀社から搬送され棺もガムテープでぐるぐる巻きにして火葬されるみたいです

その自宅で亡くなった方は葬儀社からも拒否されるみたいです、袋に入れることが出来ないからと…国の扱い方規約みたいです

その息子さん曰く、最後までコロナ患者扱いで火葬されていったと嘆いていました

大変つらい事かも知れませんが、それも辛い中情報としてみんなに伝えるお役目だったんですね

後は、それを受け止めた人間がどう考えるか、

惨めだとか怖いと思い、またコロナを避けるだけの情報として捉えるか

コロナの本質を考えるか、病気にならないために考えるか、命というものを考えるか、死ぬ事生きる事を考えるか

「命の尊厳」の尊厳…字のごとく厳しさも含め尊いものなんです

頭だけで考えて理解できるものではない

命を与えられたという事は生きるという使命なんです

意識を持っているという事です

これも何度も話していますが


肺癌になって一年半後、3回目の抗がん剤治療が治験で父親はもう既に覚悟をしていたのか、食事もしないまま2週間の治療、そして家で2週間、最後の5日は寝たきりで、私も夜中だけ家で付き添いました

光に包まれて楽になるように子守唄を歌ったりしながら見守っていたら

急に体の状態を変え、上向きに寝返り、胸の前で印を組み、それから呼吸が深くゆっくりとなった瞬間に魂が抜けて行きました(そこで意識がなくなった)

不思議な父親の現象でしたが、死の瞬間を肉体をもってして私に教えてくれたと思いました

覚悟をすると、ちゃんと肉体をしっかり揃えて苦しむことなく意識だけが抜けていくという瞬間です

しっかり生きて、ちゃんと死んでいったんだなとその生き様と死に様を尊重しようと思いました

尊重する事が弔う事だと思います

命をどう使っていたのか、私達にどんな事を学ばせてくれたのか、その人生すべてからのメッセージは何だったのか

その事を自分達も身をもって学ぶのかなと思いました





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