緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

視点を変えてみれないのは何故でしょう

2021-02-01 | スピ的視点
  自分に自信とか言って、自信の話をしていますが

自信を持つことも大事で

自信…自分を信じる事も大事で…

私なんかは自分に自信がないところから始まった人生だったので

それに両親から可愛がられ守られ(ちょっときつく言えば縛られ擦り込まれ)自分の事すら分かっていなかった人生から始まった

とにかく人を観て、イイなぁ~、こんな人って素敵やなぁ~、カッコイイなぁ~、こんな人達と一緒にいたいなぁ~って、凄い事できるんやなぁ~

そして、こう思いながらも常に自信なく自分は駄目だと卑下してきた

まさしく自己肯定感の低い人間でした

でも、そう思いながらでも観ている方向は、その憧れの方向ばかりだし、意識系で言うと良い方ばかり

反対に…出来ない人や文句や愚痴を言う人が好きではなくて、人の悪口や噂話をいう人、暴言吐いてる人も嫌いで、そんな人を避けてきたりした

私の中の怖がりは、こういう人を観ているのも怖かったんだと今では思います

無いところから始まった私は良かったのかも知れません

今ありきとか、今が当たり前、あって当然…

こう言ったように「ある」ところに立ってみていると見えてこないんでしょうね

考え方も自分がいてる事が当たり前、自分の考えが当たり前、自分の考えがありきで人の考えは無し、

だから視点が自分しかない、自分しか見えていない身勝手となるのかな

世の中では、今に感謝しなさい、有る事に感謝しなさい、有る事を認めなさいとも言う…今の自分に視点を置きなさいと

それに、無いものは求めるな、足らずばかりを埋めるなとも言います

そもそもは何も無い!

無いものから積んで行っても、それが分かるとまた無くなる

当たり前になって無意識になるからです

0に何かけても0になるのと同じかな

無いものを観て行くと、目の前に何も無くなるから自ずと自分しか見えない

そうすると自分を信じないといけない事になる

物事も観かたというのはどこからでも行きつくところは同じ…かな (^.^)


今ちょうど昭和な価値観のオットの心理と向き合いながら自分(自分も昭和)を切り開いて行ってるリアルタイムでございます (^_^;)

私は解釈に考え込むので心置いてきぼりにしてしまったらだんまりが続き、オットは自分を曲げないというだんまりで殻に閉じこもり…人の意見は受けとめない、暴言吐く、仕事人間です、職場の自分の居場所にしがみついてる昭和バリバリ (^_^;)

お利口な人間にならないといけないという心理が働いていた私も呪縛があったと思います、我慢はという概念では無いけど、どうにか理解しようとして真理の課題の素材としてきました

最近でよくいうDVなんかでもそうですが、横暴な人にとったら冷静な人間や理解しようとする人間は、自分の肯定感をうんと下げてしまい、余計にいじけて卑下してしまう

向き合うきっかけが起こらない時には平和ですが、人生そんな訳にもいきませんよね

自分の気が治まった時には心委ねてくるみたいな (^.^)

こんな事が起こる度に私の真理の成長に繋がって来たのでホントに感謝であるんですがもうそろそろ令和ですよとお互いに成長しないといけませんね

私自身がいつでもワープして昭和意識から場所変えて令和意識に行くのも手段ですよね (^.^)

意識をシフトする時には、時に手放す勇気もいると、いつも断捨離している様にです (^.^)




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