緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

老いは財産

2022-05-05 | 人生観
  数日間「老い」や「孤独」に繋がる話を綴っていました。
みんなが経験するだろう老いと孤独、
人生…生まれて来た目標や課題でもあるという話もしていました。
課題というのは、どう生きて来たか、どう美しく生きてこられたか、
そのプロセスすらも課題ですよね。


人生の卒業の時に何をもっているかではない。
テーマである「老いは財産」というのも
お金や物でもない、地位や名誉でもない、知識でも博識でもない、
それらはプロセスを楽しむためのツールだったかも知れないけど
すべて手放して三途の川を渡らないといけないんですよね (^.^)
その時のパスポートは「心」です。
そこから100年また修行が始まると言われていますが、
法事が100年で満了と言われている様に。
この法事の年数すらも時代に合わせて変化しています。
最近では長寿なので子供達も老齢になっているので法事も頼めない様な
だから長ければ50回忌、最近では13回忌辺りで辞めておこうと。
意味も深く考える事も無く形式だけで決める。
(じゃあそんな形式や儀式って本当にいるんですか?という事ですよ)
その時に使うのが戒名だと言って
みんな戒名にも「位」を意味する「字」も
高いお金を払ってつけてもらいますが、


そんなのも全く関係ありません。
僧侶の位の世界と同じでその世界がそう言うものを作った幻想に過ぎない。
なんでそんな事を自信もって言えるのかって?
何でも客観視すれば分かる事です、
実際に仏教自体も最初に日本にやって来た時からを思えば
分離分裂を繰り返し変わって行っている
そこから分離分裂が起きた時にはすでに人間のエゴや意識が含まれている。
自分の見ているところや、考えているところ、
それに自分の考えや価値観や感情が絡むから歪んでくるんです。


最近ではお葬式やお墓に関しても簡素化して居てるけど、
墓じまいだと簡単に言葉にするけど、
その時に本質をしっかり知っておかないと、
何かあった時に先祖の祟りじゃ~なんて言う事になりますよ (^^;)
最近の断捨離やお片付けのプロが教えてくれる時に
しっかり心と向き合うって言うのと同じです。
何でも心を置いてきぼりにしていては、
自分の中の感情がまた浮上してしまうのです。
その感情や価値観に向き合ってからの判断で、
その判断を信じて行かないと。

それをそれまでの人生に於いて段階を経て
心を育てながら理解して行くと良かったんでしょうが、
時代に流され、社会に流され、
自分の意思を考える事もしずらくなって行っただけ、
せめて老いを感じた時、孤独を感じた時に
一旦落ち着き、立ち止まり、
当たり前の中に埋もれている意識や価値観、
この世の常識に目を向けてみると、
自分の中に埋もれていた考えや意思が浮かんでくると思います。
それは自分の人生の体験の中にちゃんと得ている事ばかりだからです。


先ずは口癖を変えて、意識の方向を変えて、
「年取ったら痛いところあっても当たり前」とか
「年取っとたら病気になるのも当たり前」とか
「年取ったら・・・」という自分の当たり前と考えている思考の中を俯瞰して観てはどうか、
そんな風に自分を痛めて来た人生を振り返れば
肉体を労い、肉体に感謝する方が優先じゃないか…。
それに気づける事もこの世の目標や課題だったんだから。

老いは財産です。
それは意識の財産。
意識の宝庫です。
三途の川のパスポート。
心豊かに、意識を豊富に器の大きな美しい心、
それも自分らしく、自分を大切に考え、自分を楽しんできた人生の心。
今まだ生きている限りそのパスポートに気づき得るのも遅くない。
三途の川のパスポートだって行き先がいろいろですから (^.^)
渡らせてくれるでしょうが…。
自分で行き先を決める事も出来ます。
行き先を決めないと迷ってしまうかもしれませんよね。
あの世に行けばあの人が待っているとか、
ご先祖様が待っているとか言いますが、
本当にそこへ行きたいんでしょうか (^.^)





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