考えるきっかけを常に神様(宇宙)は与えてくれている
それは”魂”を磨くためでもあるし、成長するためでもある
”魂”だけじゃなくこの世の”肉体の心”が体験する事でもあるし、成長の為でもあります
どんな体験でも、自分が関わった事、自分に提示された事、自分がキャッチし捉えた事に対して全てです
世の中の話題になった事でも気にならない事もあります、そのままスルーする事も
でも、一旦自分が意識した事は、自分なりの答えを出して行く方が脳の思考の整理にもなるので、そうした方が賢明だと (^.^)
最近の有名人の自分で命を絶つという事に関してです
それに、安楽死という事も
これらの事を安易な気持ちで表現しようとは思いません
なんなら救いたい気持ちです(要らぬお節介ですが)
私は魂と繋がります、だからその人の魂はちゃんと分っていると分かるからです
自傷行為の末、命まで絶ってしまう
自傷行為って肉体に関してだけではない、無意識に知らず知らずのうちに自分の心を傷つけている
悩むというのも考える方向によってはある意味自分を傷つけてしまう
私も学生の時に自分の心を追い詰めた経験があります
何に対しても悔しかったり、悔やんだり、僻んだり、ひねくれていて死にたいなんて考えた事何度もあった
多分自分に自信もなくて、自分が嫌いで何もかもを人のせいにしたりしていたんでしょう、人のせいにしても人に言う事もできない
そうすると自分の心も感じないでどこかに逃げたいと思うんでしょう
死にたいと思っても実際には勇気もなく、出来ませんでしたが
そんな時には自分の心を見る事もしないまま強くなろうとしていたようです
なんでも自分が一番凄いと思うぐらい強い自分を創っていったかもしれません
業の強い人間に (^^;)
それでもあかんたれの気が優しい人間だったので、悔しさとか怒りを内に閉じ込めてテンションだけアゲアゲで進んだんだと思います(笑)
ピエロか能の世界のように
守られていたんでしょうね、今となっては感謝ですが
恋に悩む事だってそうです、
それが行きつくところストーカーになったり、お互いの命まで落としたりと
自分を傷つける行為はどこへ向かうか分かりません
でも、病気も同じでそれまでの自分の意識でどうにでもなる
それまでの体験の本質に向き合う事でどうにでも変わる
最後に逃げ場がなくなり追い詰められる前に
病気になったらその病気にしか意識が行かないし、傷つけまくったら死ぬ事逃げる事しか考えない
安楽死でも楽に死ぬ事しか考えられない
魂はそんな事考えていないかもしれないのに
その病気になる前に自分がどんな考えだったか、自分の性格はどんなだったか、何故病気になったかなんて考えない
自分は苦しみを経験して、何が苦しみなのか、苦しまない方法は何なのかを知るために生まれてきたかもしれない、
安楽死してしまったけど、人々に考えるきっかけを与える役目だったかも知れない、それは仏の道で言えばいけない事をしたかもしれないけど得を積んで相殺したのかもしれない
死後の世界に逃げたとしても魂は生きている
それを家族に伝えたいのかも知れない
今回話題になった有名人、みんな好きだった
三浦春馬さんも芦名星さんも竹内結子さんも…
だから身近に感じて悲しいけれど、人に影響を与えるお仕事している人は苦しいかもしれないけど、どんなカタチで影響を与えるかはその人のお役目かも知れない、徳の高いお役目かも
それを無駄にしないためにも残されたものは考えるきっかけにしなきゃいけないですよね
その人の人生を憐れんで悲しむより
全てを受け入れてその生き方を尊重してあげる方が供養になるんだと思います
もっと自分を解放できる世の中にするのも誰かの役目だし
今そんな時代に向かってる
なってしまった事を見るより、それまでの事とか、これからの事を考え、飛び越えると難無く過ぎて行くかも知れないのも神様のメッセージ
この世の全てに感謝しないと…
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