日本語って都道府県でも地域でも場所によっても沢山の言葉があります
世界各国で考えるともっとですよね
その言葉が通じ合うにはもっと複雑になり大変でエラーが生じます
そもそもがその言葉は人の思いとか人の感情だからなんですよね
同じ「痛み」でも肉体の痛み、心の痛み、痛みの強弱、痛みの大小、自分からの痛み、外からの痛み…様々です
そもそもが言葉には色んな意味があるというのがそうで、それが「概念」で糸括りにされいるという事です
そしてそれが人と絡むので複雑になるんですよね
その概念がまた自分を苦しめる要因にもなります
数日前に「自分軸」「他人軸」「自分に置き換える」という角度からも話していますが
色んな角度から話しても結局はいつも同じ事、通じる事、繋がる事を話している私ですが (^.^)
結局、概念の広さを知らないと認識も出来ないし、受け入れる事も出来ない
そうなると認めて尊重する事も出来ないという訳ですね
客観的になるにもまず自分自身が「概念」を広げ器を大きくしないといけない
同時に自分の中の「概念」も整理してみないといけない
それが思い込みとか思い違いという事があるからです
そしてそれらを経験として自分に置き換えてみる体験をしていかないと気づかないということですよね
自分の言葉の概念も色んな感情として口癖に出てきているという事がそういう事です
無意識な置き換えをしていると考えれば良いですよね
自分に置きかけてみている事を客観視してみる
若者言葉、ギャル言葉って単純な言葉で意味名の無い発音の波動だけど、人が使うと意味が付いてくる、
でも意味なく発している人間が多くなっていて、
あまり意思疎通という事を関係なしに使っている現代、そんな事もまるで宇宙人が話しているように言葉を超えた概念を超えて、人の心を客観視する時代だというメッセージなのか
最初に使う人はその人の感情から溢れ出た波動だけど
勝手に流行だから使っているという人は脳への発信も調子狂うんだろうなと思ったりする
その概念の本質から感情も含め使わないとねなんて思ったり (^.^)
それが波動で、全てが溢れ出る概念からの波動だと知っていないと
脳の機能が狂い、置きざりになり、果てには認知症かなと
認知症もそもそもの原因の大きな一つには「感情に蓋をしてきた」という事です
言葉が波動だと知り、言葉の意味を知り、言葉の概念を知り
今までの時代はそれも外へ広げ大きくしてきた、それは社会と融合して生きるという概念が強かったためで
自分の内側がそれらの概念に固められていった
今は、その固められた概念をゆるゆるに緩める時です
言葉自体が波動で、概念で、宇宙です
その自分が発している言葉の宇宙を知って信じる時 (^.^)
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