緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

ボランティア精神

2023-04-30 | 日々気づき
  現実論か精神論か…なんて話していましたが、
これだけに拘るとまたバランスが悪くなるという話でもありました。

この世に命を頂いて肉体と共に生きているのは魂ですから、
その魂を無視はできません。
このことを無視している人は人生のどこかでこの壁にぶつかります!!
これは逃れらませんもんね。
生命観、人生観、死生観を語るのにも切り離せないのは魂ですね (^.^)
魂は今生の肉体と生きた時から続きを生きているからです。
なら簡単じゃないか!?
魂と共に生きてみる。
魂の思うように生きてみる。

色んな世界観を試してみる。
世界観を広げてみる
その中に魂の世界観も加えてみるともっと自分の想像以上に大きく広がりが見えるでしょうね。

見えないものが見えてくる。
世界観が広がるってそういう事なんでしょう (^.^)

先日は有償ボランティアで選挙の立会人をしているという話をしましたが。
こんな時でも自分の視点や視野を持って臨むと見えてくるものや考える事が広がったりします。
普段の世界とは違う世界を垣間見るからです。

何も考えずにただ無心で臨むのも囚われずにお金だけをもらって済む策ですが、
楽しんでくるという事も含むといろいろとあります (^.^)
人間観察好きですし、何かやってるの好きですから (^^;)

そう思うと世界観や概念を広げるにはボランティア活動って凄い有効かなと思います。
その理由は愛がベース、無償がベースだからです。
ただ与えるという心だからと思います。
中々できるもんではないです。
気に入らなければ止めればいい。

最初は邪念があるでしょうし、出てくるでしょうが、
それに、対象者や出来事だけを見ているかも知れない。
ある意味自分と分けてみてしまう。
引いてみてしまっていたり、どこか高いところから見てしまっていたり。

でも、与えて与えて相手に近づくけば近づくほど、
出来事に近づけば近づくほど、
与えれば与えるほど、
最初は無償の愛にじゃない事に気づく。
無償の愛になれば自ずと自分が見えてくる気がするんですよね……。
自ずと今の自分に気が付く……みたいな。


そうかといってどこか被災地などの遠くへ今の生活を置いてまでは中々いけませんよね。
中には外国の遠い地へ行く人もいますし、被災地へ飛んでいく人もいますが。
医療とか開拓とかって大変だと思います。
その医療従事者の方もよく話されている。
最初は救助のつもり、役に立つつもりだと。
でも反対に自分が救われることが多い等と。
そういう人はその使命で命を学ぶため伝えるために生まれて来ていたりするんだと思うのでそれぞれで良いと思うのですが。

遠くに行かなくても、全然知らない縁のないところに行かなくても
身近にボランティアを感じたらどうでしょう。
ボランティア精神を養うっていう事が本質で本来大切なんだと思うのです。

身近な家族、親子供、パートナー、地域や自分が所属するコミュニティなどです。
子供にも無償に与えながら育てる。
夫婦でもお互いが無償の愛で結ばれる。
無償の愛は求めず期待せず。与える愛。
自分にも愛がある事に気づくし、与える愛がある事にも気づく。
与える人や場がある事にも気づく。
無償の愛、ボランティア精神。

ある意味、孫の世話しているとそのまま感じるんでしょうね
腰が痛いのに、無理してまで与える一つ要は無いと思うけど、
子供を育てていた時と違った愛を感じるためにそうしているんでしょう。
その本質の愛に気づく事でしょうね。
それでも文句言って愚痴言ってる人は
一度遠くにボランティアに行ってみれば自分がどれだけ愛に恵まれているか感じるかもしれませんね (^.^)




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