緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

続・自分に置き換える

2020-10-21 | スピ的視点
  「自分に置き換える」、何でもそうだけど言葉にしたリ、口に出すのは簡単だけど、事実が伴うのは難しいもんですよね

まあ、だから何回も同じ事繰り返したり、体験したりするんでしょう

自分の事だと気づくまで (^_^;)

人の事だと見えるし、客観視できるけどってやつですね

客観視でも自分の感情が入ると中々客観的になれない場合もある

ましてや自分の事となると自分の感情すら見えなくなくなるからです

私がブログで自分の考えを書くというのも一つには自分の考えを客観的に見るためでもあります

書いてる途中で考えさせられる時もあります

世の中には何が正しいとか何が間違いという概念がハッキリしたものは無いと思っていて、自分がどちらよりか、違う角度ではどうかなど偏りがなく、自分の考えを持つという事だと思っていて

書いている途中で「あぁ~こういう見方もあったのか」とか発見もあるし

なので、ハッキリ断言する人や、自分のペースだけで通そうとする人がいると、違和感を感じるし、こんな角度もあるしどお?なんて提議したくなったりします

まあそれも大きなお世話ですが

そんな時でも私の指針でもある「全てオーケー」なのにどうして?って言うのが基本です

断言したリ、こだわり過ぎる事が自分を苦しめていたりするし、

魂とのバランスがズレている場合なんですよね

なんでそんなに断言できるの?なんてハッキリ言い過ぎると、憎たらしいと思われるでしょうが

そんな人は自分を棚に上げて中々自分が見えていないのかなと思うんです

うちの母親も自分の世界やこだわりが強い人だったので、私がちょっとでも口答えすると興奮して憤慨します

なのであまり言い合いをしたくない私は反抗しませんでした

それに、母親の母親、私の祖母と性格が似ていて、祖母も興奮して怒る人で厳しい人でした(私達孫には優しかったですが)

その祖母は67才で亡くなっていますが、些細な事で祖父と言い合いになり、興奮してその場で脳卒中で亡くなりました

それを私も中学生だったのでよく覚えていて、そんな事で母親も同じように亡くなられてもと思うので、興奮させたくないという気持ちでいます

でも大人になってもそのままだったので母親ながら対応に困る事が多くなって行きました

それで、こちらが「わかった」って話を終わろうとしたら「あんたは直ぐ話を止める」とか言われるし、反抗したとしても興奮するし、解ったと言っても怒るし、何を言っても言わなくても「もう!あんたは!!」って一人で興奮して鬼の形相で声を荒げる人でした

興奮する人は相手が冷静だと余計に怒りが込み上げます

元々怒りも自分のものだから相手にあたると自分に余計に返ってくると言うのはそういう事でしょう

挙句にテープレコーダーで録音してたらよかったわと言われたこともあったんですが、

ホントそうしてくれたら良いのになと何度も思いました

そんな母親だったので、私は自分が言った事も、母親が言った事も後からもう一度自分の中で検証する癖がついていました

もちろん自分が言った事が正しいなんて思っていなかったので、事実だけを「これはどうなの?」って、じっくり検証していました

そうすると見えてくる気づきがいっぱいありましたし

自分が正しいと認識する必要がある事にも気づきました(親の世界からの自律でもあります)

それが今の私の土台にもなっていたりします

母親は私が言った事は覚えていても自分なりの親として自分の世界で勝手解釈してしまいます

そして母親自身が言った言葉は覚えていないし、吐き出した言葉を悔やむ事もあります(私には謝りませんが)、ころころ話す事が変わったりします

考えに一貫性が無かったりです

そんな母親との関係も今となっては自分に必要だったという事も理解して、心の呪縛から解放されているので感謝ですが (^_^;)

母親が変わる事はありません…長年友達も作らず、人との距離も取る人なので

話それましたが

母の言った「会話の録音」ですが、今では会議とかセールスとか電話でも便利によく使われるようになりました

(政治とか会議では議事録とかがあって、議事録がのり弁になったり、シュレッダーにかけてしまったりしますが、そのままを検証したらどうだろうとおもうのもそうですよね)

自分を棚に上げて、何でも断言する人って「録音」を聞いた時にどう思うんだろうって思います

一度聞いてみたら良いのにって思ったりします

自分だと分からず(そんな人って会話の内容も聞いていなかったり、覚えていないので、後に聴いても自分って気づかない人もいると思います)

聞いてみて、助言でもしてくださいって頼まれたらどう答えるんだろう

私の旦那との会話でもたまに録音していたらこの人はこの会話に対してどういう見解を持つだろうって思う事があります

うちの旦那さんも優しい人ではありますが、あんまり考えて物を言う人でもなく、思い付きで心無い言葉を発する時があります、実際についこの前、会話のエラーが起こった時に、もしこの出来事が他人の夫婦に相談されたらどう理解してどう答えてあげる?って聞いたんですが、どうやろってはぐらかされました (^_^;)

ホント、録音して聴いて欲しいと思う事があります (^.^)

テレビドラマや映画の物語でもふと自分に置き換えてみて、客観的に見て自分の考えと比べて改めて自分の考えを知る事も出来る

主観的、客観的の違いって…

もちろん基本的に辞書で述べているのには

同じ1キロ歩くにも、長く感じる人もいれば短く感じる人もいる

「ここからあそこまでは長い距離だなぁ~しんどいなぁ~」という主観と

「ここからあそこまでは1kmです」という、意味もなく事実だけの客観的正解がありますが

人間の意識の中での主観的と客観的というのは、感情が邪魔しているか感情抜きに観れるかという事だと思います

仏教での瞑想の内観するという事と同じで

自分の中身を知って、感情を知って、自分にも客観的になるとある意味悩みまで無くなる

そんな意味で、物事を自分に置き換えてみたり、

自分の言葉を録音して聴いてみたり、自分の考えを書き出してみたりして

自分に客観的になる事をする方が人間関係もスムーズに運ぶかと (^.^)

人生での一番大切な事が自分に客観的になるという事だと思います

そして自分に置き換え体験してみて検証して確認する

こんな行為が悟って行く道で、人生の大切な事ですね (^.^)



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