緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

光の存在

2022-08-21 | 真理
  この世は光の塊、光の現象
肉体は光の塊、光はエネルギーで意識です。

何度も書いていますが、
幼い頃縁側がある部屋でボーっと横になっていた日曜日
部屋中がキラキラしていました
未だに覚えている
後に大人になって知った事ですが、
その光は埃が反射して光っているんだよと (^^;)

でもそのもっと後に、大気中にも宇宙神で宇宙エネルギーが舞っていて充満しているよと教えてもらった時に目に見えない埃だってそうなんだと思い幼い時の光景を思い出していました。

その埃が畳や床に落ち、溜まり、固まり、
埃だと認識される。

埃は静電気に集まり、溜まります。
空気中の光も静電気に吸い寄せられるようにくっ付きます。

人間の肉体だってそんな感じ、
吸い寄せられるように交わる。

そんな光の現象を自分の思い込みの幻想として観ている
そう見ながら自分の光を輝かせ
自分の光を軽く明るくしていく
光が重く粗く固まり、曇っている光を溶かして行く。

宇宙からは瞬時に光が注がれている。
大気中に遍満に存在している。
何を区別する事も無く全てに平等に注がれている。

目に見えるもので言うと太陽の光も月の光もそうです。
影響を受けながらその光を受け取っている。
身体いっぱいで感じている。
必要なものは磁石のように波動で自分が吸い寄せる。
自分の光も自分の輝きだけでは気づかない。
自分一人では輝けないのです。

人と交わるから自分も輝くし存在を知る。
何か人の輪や場が無いと自分の光を表現も出来ない。
輝き方も違うし、障害や屈折もある。

それが人間関係での交流であったり
学校や仕事といった社会の存在する場所に行って
屈折した自分を認識するのです。
屈折もまた自分の光り方です。

それぞれの場所で自分に必要な光と交わるためです。
そうしないと自分は輝けないし
輝いている事にも気づかない。

屈折しながらでも美しく光ろうとする。
その光にも意識があるのです。


屈折が複雑に絡むところは色も濃く粗くいずれ底に落ちます。
意識も落ちます。
自分が現在意識の低い所に吸い寄せられて、
嫌な意識にさいなまれているとしても
自分でくっ付いてそこでの輝きの学びをしているのです。
離れたいなら自分が細かく高次の光になるだけです
目に見えない光に分散して上がって行くだけです。

前にも話していますが、
痛みや病気もくっ付き固まって気づいてもらいたくてそうなっている。
そんな自分を分かってもらいたくてそうなっている。
そこに集まった意識を認識してもらいたくてです。
宇宙の光と融合すると分散して軽くなります(^.^)
一気に宇宙と言わずに仏様や神様の域へ段々と近づき
光が分散して行くのです。

余談ですが分散して行く途中の
幽霊やお化けと言ってる光の塊もそういうものです。
肉体は消滅してもエネルギー意識が色濃く残っていると
その低次元の意識が集まり塊になって見えるのです。

いろんな場所に行って気配を感じるのも
どこにでも光は存在するからです。

光がくっ付いて離れてしながら
自分の光の表現をして、表現を知って、
自分の光の存在でいながら
そんな事を繰り返しながら輝きながら
この世で自分の光を光らせています。
自由に美しく燦燦と輝き放つ
そんな存在になる ヽ(^。^)ノ





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