自分らしさというのは造って行くだけ…
という話をしていました。
そして「自分らしい」とは、
出来事にどう向き合っているかという事だと (^.^)
向き合っている事が自分らしさという事は、
いつでも自分らしいのです。
そうしているうちに内に秘めたる魂と
共に生きれるようにもなる。
昭和の一世代前の意識では
他人のため…とか、社会のため…とか、
規則とか、支配や従事る意識が強く
自分らしさが少し窮屈になっていました。
人間が窮屈だという事は魂はもっと窮屈なんです。
自分らしくないからです。
魂が窮屈で自由じゃないという事は
地球も宇宙も自由じゃないんです。
そこで宇宙から救いのエネルギーが働きだしました。
一掃しますというエネルギーです。
そのエネルギーに魂も目覚めて行きます。
今までは魂も窮屈な上に肉体の意識が固まりまくっているので
自由になれなかったので呆れ果て眠っていました。
そこへ宇宙から強い光のエネルギーが射しこんできました。
内からの振動が激しくなり、
身ぐるみはがされていっている状態です。
こんな話もしていましたが…。
そんな中で、病気という表現に現れたり、
痛みとして出てきたり、
今まで溜めていた澱みと共に噴き出ている今です。
(噴き出ているモノに見とれないでねって感じです)
なんぼ低次元の自分であったにせよ、
その時の自分で、それが自分らしかったんです。
そんな時にもどう向き合っているかです。
病気の上辺だけに向き合って、
自分らしく向き合っていないかも知れないんです。
医師に任せ、薬に任せ、自分らしくないかも知れないんです。
それに、魂が生きる自分らしさと
肉体が生きる自分らしさとがズレているだけなんです。
魂と肉体の自分らしさが葛藤している。
一致していないだけです。
違うところを見ているだけです。
対処の仕方が違うだけなんです。
ひとつ省略しながらですが、例えると…、
過去世では東洋医学を学んでいろいろ試したかった、
それがこだわりの生き方だった。
でもその時には東洋医学では命を救えなかった、また、救われなかった。
だから今世には東洋医学なんて信じる事も出来ない、
西洋医学に頼るだけなんだと頑なになってしまっている。
今世どれだけ西洋医学に頼っても治らない、
じゃあどうしてか、ある過去世で東洋医学に拘っていた生き方をもう一度やり直してみたい、
そんな心が邪魔をしている。
この時に自分が医師側か患者側かでも変わって来る。
今世、医者の視点からも試してみたい、
患者の視点からも試してみたい、
ただ体験して試してみたい、
色んな自分らしさが出てきて当たり前。
こんな風に過去世も今に影響を与えて来る場合も。
一気に解決するには…、
どっちでもいい、
病気が原因じゃないかも知れないんです。
その拘る心が自分らしさを不自由に縛り付けているからです。
何にでも「こだわり」という心に向き合えば、
一気に病気も無くなるかもしれないんです。
自分だけが正しいと思うこだわりとか、
間違いか正しいかのどちらかしかないというこだわりとか、
どうでも良いという投げやりの何も信じる事が出来ないこだわりとか。
自分を信じれないこだわりとか。
それを心底思う。
心の底まで空っぽにして魂に任せる。
いろんな視点で見れるという自由、
色んな自分らしさが助けてくれる。
そうするとどんどんと魂自体も魂らしく生きれる。
肉体が魂と一体化して「らしく」生きれるんです。
誰しもが自分らしく生きる途中です。
その時にいろいろな体験が目の前に起こっているだけ。
病気だって、痛みだって、あらゆる出来事だって…。
ただの体験。
その仕組みを知れば、
それにどう向き合うかです。
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