寺の入り口に石碑があり、詳しい説明があります。(縁起) ただし、詳し過ぎてなんとも量が多いので、ファイルで頂けないものかと思います。(笑)
(一部)日祐は多古栗山川辺りにおいて千葉胤貞と劇的な出会いをし、説法を唱え日蓮宗に帰依させています。 その後、胤貞の養子として迎えられて、日本寺をはじめ、各地に寺院を建立している。・・・(胤貞の子は日祐に弟子入りしている)
現在のお寺
お寺自体は小さく民家のようで、近くに海でもあれば、別荘かと思うような建物。 ここは住職が常駐ではないようで、たしか、多古妙光寺の住職が入山し、兼務をしているかと思います。
境内にある日祐の墓石(卵塔) 可愛く珍しい墓石ですね。 一般の方のお墓と一緒になっています。 それでも、日祐さんは扱いが小さいような気がします。
石段
お寺の坂下の方に、石段を登る通路があります。 おそらく、古くからのお寺の正式な入口であったのでしょう。
坂道から見た全景。
気を付けていないと、(坂道なので)通り過ぎてしまいます。 ここは、日祐の隠居寺ということだったのでしょうか? 実績の割には、こじんまりしたお寺です。
場所も地元民にもわかりづらく、妙光寺などと違って案内板もないし、他地区の人にはわからないでしょう。 日祐は日蓮宗の高い役職も経験したと思うが、この時代では立派なお寺だったのか、あるいは他の場所で大きく取り上げられているのかもしれません。
久保集会所。
お寺の下にある久保集会所。 こちらの方がよほどお寺っぽいです。(笑) 初めての人は間違えるかも知れません。
佛光寺は、見て感動するというような建造物ではありません。
が、胤貞が宗家を乗っ取られ、相手方の貞胤側が真言宗であったので、日祐の説法により新しい宗教の日蓮宗に鞍替えをして、さらに日蓮宗のパトロンとなり、それにより中村近辺のお寺に大きく影響を与えたという点は、一度、押さえておきたい。
ぶらり散歩の案内地図への掲載は・・・??? 散策ルートではないかもしれませんが、石碑で良く紹介されているし、久保城の近くでもあるし、日本寺や経塚とも関連してくるので、一応載せておきましょう。 (日祐がもっと取り上げられても良いと思います)
案内板を設置する南中から久保まで、散策に行く人はいないのかも知れませんが、案内地図を見ながらの歴史の説明とか、地元の人の学習用にはなるでしょう。(将来の歴史人が生まれるかも)