*(前編)の続きです。
しかし,
私たちが思っていた以上に,
死は突然だった。
4校時後のことだった。
「先程の休み時間までは普通に動いていたのに・・・・・・」
考えてみると,
人間が近づいていたから,
必死になって動いていたのだろう。
気にかけて世話し過ぎたことによって
無駄な体力を使わせて,
死を早めてしまったのだろう。
「あと1時間待ってくれれば,
餌を買って来られたのに・・・・・・」
5校時,
鳥の死を全員に知らせる。
「えぇ?!」
と初めて聞いたという声が多かったのが意外だった。
きっと,
知っていた子ども達も,
他の子に言えなかったのだろう。
5校時も急遽,
道徳の授業に。
「公表しないから,
自分の心に問いかけて書いてみて」
と3つの発問。
「①あの鳥は死の直前にどんなことを思っていたのだろうか?」
「②あの鳥のために,自分はどんなことをしてやったのだろうか?」
「③もっとできることは無かったのだろうか?」
これは,
私自身への問いでもあった。
静寂の中,
私も一緒に鉛筆を走らせた。
書き終わった子ども達に問うてみる。
「寿命を全うできた鳥は幸せに決まっている。
ただ,
巣に戻れなくなった鳥は多くいる。
そんな鳥の一羽としては,
あの鳥は『幸せ』だったのだろうか?
それとも,
『不幸せ』だったのだろうか?」
「たった1日だけでも長生きできたから幸せ」
「自然の中で死ねなかったから不幸せ」
どちらの意見も子ども達から出された。
私は敢えて
「私自身にもわかない」
と本音を話した。
更に,
「みんなに相談したい。
私自身は③の答えが書けなかった。
『みんなに頼んで授業を自習にして餌を買いに出れば良かった。』
とも考えていたんだけど,
それはできなかった。
私は,
みんなを自習にして餌を買いに行くべきだったのだろうか?」
と聞いてみる。
本気で悩んでいたから。
子ども達は意外にも,
私の問いに首を横に振った。
本当に意外だった。
子ども達の方がよっぽど理性的なのかもしれないし,
私を思いやってのことだったかもしれない。
何れにしても,
私自身は,いくらか救われた。
最後に,
「私が校長先生か獣医さんなら,
あの鳥を救ってやれたかもしれない。
私も無力です。
みなさん,
『力』をつけましょう。」
「私たちが『力』をつけるきっかけになれば,
次に同じような鳥に出会ったときに,
もう少しだけでも適切な行動ができれば、
あの鳥との出会いも,
そして死も,
少しは報われるかもしれませんね。」
と話をまとめた。
結局,今回の私は,
「子ども達の安全を最優先する『教員』」にも,
「立場を捨てて命を最優先する姿を見せる『教師』」にも,
どちらにも徹し切れなかった。
どうしたら良かったのだろう・・・・・・