今回集まったのは私を含め16人。
隣町(栄町)の青年部は15日~17日まで先に行ったらしい。
印西を(車6台)で20時30分に出発。
休憩を取りながら現地(石巻)に着いたのが午前3時半頃。
車にて仮眠を取り、8時に現地のボランティアスタッフとの打ち合わせ。
今回は女川町の入り江の漁港(集落)の悼ニ屋の片付け(12人)と石巻市(渡波【ワタノハ】地区)の神社社務所の修繕作業(4人、職人チーム)に分かれ現地スタッフと共に活動拠点に移動。
石巻市内はどこも渋滞。
先月から1ヶ月が経つが、多少良くなった所、全く変わらない所などそれほど復旧が進んでいるようには見えなかった。
それでも現地の方たちから見れば少しずつ進んではいるのだろう。
私(職人チーム4人)が行った場所は女川街道沿い、渡波地区にある《伊去波夜和氣命神社明神社【いこはやわけのみことじんじゃ】通称、明神様》。
神社周辺は津波でほとんど壊滅状態。
もちろん電気・ガス・水道が復旧してはいない。
現地スタッフがこの神社の足(束柱)が洗われると渡波地区は壊滅すると言う、昔の言い伝えを聞かせてくれ、神社周辺はその言い伝え通りになってしまった。
神社自体は周りに比べ多少高くはなっているものの、そこまでの高低差はない。
震災当日、何人もの人がここに非難をして難を逃れたらしい。
また、本殿の脇にある神輿の倉庫に津波で流された車が2台ぶつかったらしいのだが、神輿には傷一つ付かなかったらしい。
やはり、神仏の物には何かがあるのだろうと皆で話した。
今日の作業要望を聞き、鈴木君(水道設備)が現地スタッフと共に隣の家に設置された洗濯機(発電機使用)や流しのチェックに、残った3人で神社境内にあるボランティアスタッフのテントの補強(風で飛ばされないよう)、神社所有のテントの移動、設置、片付け。
その後、社務所内に支援物資を入れるため、津波で散乱した部屋の片付けや棚をいくつか作って欲しいとの事だったので、津波でやられた近所の家から使えそうな柱や板、テーブルなどを探して歩き、材料の調達。
ここで昼食休憩。
午後からは私と森田君(大工)で棚作り、山崎君(内装業)が部屋の片付け、鈴木君(水道設備)が配管などのチェック。
それぞれが自分の職業の仕事をすると思っていなかったので、皆たいして道具を持っておらず困った。
現地スタッフに最小限の道具を集めてもらい、作業開始。
替刃式のノコギリ(ゼットソー)をケースから出すと森田君が絶句。
釘でも切ってしまったのか、刃が丸くなっていたのだ(泣)
・・・他のノコギリは枝切り用。
釘も少ししかない(涙)
普段は当たり前に使えるものでも被災地でのこと。
作業をしているとそれを聞いた現地ボランティアの若者がインパクトやビス、差し金などを貸してくれ作業効率UP!
無事に3段の棚、2段の棚、1段の棚を廃材にて3つ作りあげた。
午後にはなぜか私も大工さんと呼ばれるようになり・・・。
山崎君は津波でメチャメチャになった部屋(2部屋分)の片付け。
津波にやられた家財などを外に出し、見違えるほどキレイに片付けた。
部屋の中には大きなボラやヒラメの死骸もあったらしい。
ウォーキングマシーンに乗り上げ、壁にめり込んでいたピアノも何とか皆で片した。
午後3時、作業終了と思い神主さんに見てもらうと、次は津波で流され窓を突き破り入ってきた離れに建っていた倉庫の屋根を何とか壊して雨戸が閉まるようにしてくださいとの注文。
また部屋の横手にある壊れてしまってサッシも無くなってしまった壁を塞いで欲しいとの事。(2箇所)
明日、支援物資が運ばれてくるので今日中にやらないと万が一入られて物資が持っていかれては困るのでとのお願いだった。
その時、女川チームからは満潮の為、作業中断。
もう宿泊先に向かうとの連絡が入っていた。
皆を集め、話し合い。
するとそこは職人、最後まで何とかやっていこうという結論に。
すぐにコンパネなどを探しに歩く。
釘も無いので打ち付けてある釘を抜き叩いて真直ぐにして使う。
普段なら曲がった釘など捨ててしまうものを・・・。
それでもさすがは職人の集まり、何とか材料を探し出し、4時半には全ての作業が終了。
神主さんや現地スタッフにも喜ばれ、1日目の作業を終え神社を後にしたのでした。
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畳刺 父ちゃん
sugitatami
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