商工会館に届けられた沢山の物資を皆で積み込みし、今回現地には行けない仲間達(支援物資提供)も見送りに。
支援物資(オムツ、おしり拭き、スリッパ、長靴、食料品など)や畳、重機などをつんだトラックやセーフティーローダー(積載車)、小型ダンプなど5台で10時に出発。
茨城から常磐道~東北道を通り宮城県石巻市に向かった。
インターを下り、この辺には被害が無いな・・・と走りながらも徐々に道路のひび割れや、家屋の外に出してある多数の畳が目に付いた。
石巻駅周辺では道路に津波被害を受けた本当に沢山の家財や畳が山積みに。
石巻市専修大学の災害ボランティアセンターに着いたのが朝5時。
敷地内には本当に多くのボランティアの方達がそれぞれテントなどを張り、ベースキャンプ地になっていた。
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旧北上川を挟んだボランティアセンター側には津波の害が無かったようだった。
多少の休憩を取り、私と同級生(鈴木君、ガソリンスタンド)で畳を避難所に届ける為、社会福祉協議会の方との待ち合わせ場所に移動。
6時半に合流、避難所へ。
避難所では到着を待っていた地域の方々5人と公民館へ畳54枚を搬入。
『千葉県から遠い所、有難う御座います』と喜んで頂いた。
8時半からボランティアセンターの受付が始まるので直ぐに来た道を戻り、専修大学(ボランティアセンター)で仲間と合流。
受付終了後、指示された活動拠点に移動。
石巻市の街中を走り2年前に訪れた石ノ森漫画館の近くまで来ると景色は一変!!した。
津波の被害が凄かったのだ。
周りの家は津波で流されたり悼オていたり、漫画館は元の場所に立っていた。
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何事も無かった2年前の夏休みに訪れた漫画館
先を進むにつれ被害が酷い。
復旧作業が急ピッチで進められているもののまさに瓦礫の山。
建物は崩れ、車は幾重にも重なりメチャクチャ、建物の壁には津波の水の跡。
言葉が出なかった(涙)
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到着したのは葬祭会館。
建物の1階は浸水でメチャメチャ、2階には今でも非難されている方がいた。
作業は建物内の家財や泥のかき出し。
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ここでは山崎君(造園土木)が積んできた重機が大活躍。
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1番運ぶのに大変だったのが畳。
1寸5分ほどの厚みのⅠ型ボード(建材畳)は海水に浸かり、下の方の物は私一人では運べないほどの重さに。
普通なら10kgも無いボードだが一体何キロあったのだろう?!
藁床は水に濡れると凄くなるのは知っていたが、ボードもこれ程までの重さになるとは。
ヘドロのかき出しも想像以上に大変だった。
仏具や棚など使える物、使えない物を聞きながらの作業を続けた。
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お昼休みに井原さん(自動車整備)と鈴木君(パソコン修理)が食事の為、合流。
セーフティーローダーに津波にのまれ、道を塞いでいた車を積んでいた。
新潟から来たボランティアの方(ユニック車)と組み、車を片付けていたらしい。
※ユニック車とは小型クレーンがついているトラックです
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昼食後、私と鈴木(同級生)で近くの避難所に支援物資を届ける別行動に。
最初に行った小学校には凄い人。
どうやら赤十字を通し、藤原紀香さんと歌手の大黒マキさんが被災地支援に来ていたらしい。
私は最初、囲まれている女の方が誰だか分からなかった。
聞いてから、だからこんなに人が多いんだと納得。
あまりにも混んでいてその場を離れ、別の場所へ。
次の避難所を探し、近隣の教会の方に聞き、オムツなどを欲しがっていると言う別の小学校へ。
最初の学校同様、校庭脇のプールには車が沈んでいた。
千葉から支援物資を持ってきたと言うととても喜ばれた。
そこで1tトラックに積んであったオムツや日用品、衣料品、食料品などを全て下ろし、私達の任務は完了!
一足先にボランティアセンターへ戻る。
午後4時、ボランティアセンターに全員が戻り、予定していた全ての作業が完了。
夕方5時、帰路についた。
深夜の午前1時、地元商工会館に無事到着。
今回の夜行日帰り被災地支援が終了したのでした。
《 印西市商工会青年部、被災地支援有志メンバー 》
井原モータース、米井畳店、鈴木石油(軽油200㍑を支援)、坂巻不動産(リーダー、まとめ役)、宝電業社(伊藤)、中澤工業、パソコンレスキュー119(鈴木)、山崎園3名(従業員2名含む)の計10名。
他青年部員、支援物資を提供。
移動総距離(往復)約1200キロ
Spcial Thanks
坂巻君の母上様がこの活動に賛同し、高速代金や食事代などをご支援して頂きました。
PS、
1箇所の被災地でしたが現地を自分の目で見てきて感じた事、それはこの震災の大きさ(酷さ)
復旧、復興するには本当に長い年月が鰍ゥると思う。
それには長い目で今現在の皆の思いがずっと続く事。
この状況を多くの人がきちんと知る事。
それが本当に大事だと思う。
全ての人が自分に出来る事を背伸びをせずにする。
私もまた自分に出来る事を出来るだけ続けたいと思う。
この思いが続けば必ず復興すると信じている。
この震災から立ち直る為には人々の《絆》が必要だ。