2日目は朝6時に出発、女川町瀦l(たけのはま)という小さな入り江の漁港へ。
昨日からここで作業をしていた10人(前日夜、2人帰宅)と共に皆での作業。
この地域にボランティアが入るのは今回が最初らしい。
津波で壊滅状態の悼オた家屋の瓦礫の中から漁で使用する網やブイ、カゴを集めたり、崩れた屋根、瓦礫の撤去など。
ここではやはり山崎君(造園土木)が持ってきた重機が大活躍。
屋根の撤去をするにはまず瓦を下ろす。
瓦を取り除いたら屋根を人力にて分解。
それぞれが柱や梁を担ぎ撤去していく。
瓦礫の中には釘やガラスなどが沢山あるので本当に危険だ。
板に打ち付けてある釘が上を向いているので気を付けなければならない。
現地ではよく釘の踏み抜き等で破傷風になる事があるらしい。
・・・現に私も釘を踏んで足に刺さる寸前だった。
この地域の津波は2階の天井まで来たらしい。
津波に流されたが山の中腹にある神社に何とか逃げ延び助かったお年寄りの話を聞いた。
ここでもまた神仏によって助かった方がいたのだ。
また周りの家屋は流されても神社の階段下、入り口の鳥居は唐黷驍アともなく無事だった。
時間の都合上、本当に微力でしかなかったが撤去した家屋のおじいちゃんに何度もお礼を言われた。
『国は何にもしてくれない・・・』じいちゃんの言葉が辛かった。
前日にはお婆ちゃんが涙を流しながら『本当に有難うございます』と言われ、なんとも言えない気持ちになったという。
テレビで報道されるのは本当にごく一部。
まだ自衛隊や企業、ボランティアなどの支援が行き届かない所が本当に沢山あるのだ。
2ヶ月経っても一向に復旧が進まない所もある、自分の目で見てきたこれが現実。
現地を去るとき、おじいちゃんに
『お父さん、怪我しないでね。身体に気をつけてね。』と言う事しか出来なかった。
とても『元気で頑張って』なんて言うことは出来ない・・・。
喉まで出鰍ゥった『また来るね』と言う言葉も正直言えなかった。
被災地を訪れる度に募る想い。
多分、ボランティアの人達は皆同じ思いをしているだろう。
商工会のメンバーでのボランティアは一般のボランティアと比べその道のプロ集団が行くので短い時間でも活躍できると私は思う。
そういった活動がこれからも沢山増えていく事を切に願うし、これからの長い年月必ず必要だ。
1年やそこらではこの震災から復旧、復興は無理だと思う。
テレビでは復旧、復興が進んでいる特集などが報道されるが場所によっては震災直後のまま困っている地域が本当に沢山あることを忘れないで欲しい。
また、自分に出来る事を背伸びせず、これからもずっと続けて欲しい。
私もまたこれからも自分に出来る小さな事でも必ず続けたいと思う。
宮城県牡鹿郡女川町 瀦l
海は元のキレイさが完全に戻っては無いらしいが、静かで美しい景観を見せてくれている。
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畳刺 父ちゃん
畳職人でございます。
畳刺 父ちゃん
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