昨日、仕事絡みでみやま市瀬高町(福岡県だよ)の内野樟脳という日本に唯一残る天然樟脳の製造所(ここで製造法を習って新たに始めた小さな製造所は宮崎にもあるらしいけど)に行ったんだけど、樟脳が明治維新や日露戦争の原動力となったという話を聞いてびっくり。
聞いた話を全部書くととんでもなく長くなっちゃうのでかいつまんでみるけど、樟脳の原料のクスノキ(「楠」とも「樟」とも)は日本の南の方が主な産地で、樟脳は薩摩や土佐の特産物だったらしい。
樟脳のとれないヨーロッパではこれが防虫剤や香料、薬としてとてもいい値で売れたので、薩摩や土佐はこれを主な貿易品として長崎で取り引きしていたそうな。
なるほど、『龍馬伝』で弥太郎がクスノキを数えさせられたり、長崎で樟脳を売ろうとしてたりしてて、何で樟脳なんだろうとフシギに思ってたんだけど、そういう訳だったんだ。
内野さんのところにはNHKから『龍馬伝』で使う樟脳について問合せが来たそうな(実際に使われたのは前述の宮崎の方の樟脳だったようだけど)。
薩摩や土佐は樟脳で儲けた金で軍艦や武器を買って、明治維新を実現したということらしい。
明治時代には日本統治下の台湾でもクスノキのプランテーションが行なわれるようになったとか。
樟脳はこのころ発明されたセルロイドの主原料となったこともあって爆発的に売れるようになり、国の専売制になって、これで稼いだ外貨で連合艦隊の軍艦なんかを購入。
まさに『龍馬伝』から『坂の上の雲』の世界なのだ。
第2次大戦の頃には樟脳は航空機用のハイオク燃料の原料として使われ、内野さんとこの機械も供出させられることなく(当時、金属類はなんでもかんでも供出させられたっていうでしょ?)生産を続け、近所の婦女子はクスノキの葉や枝を集めることを奨励されたらしい。
その後、防虫剤はナフタリンなど化学合成ものにとって替わられ、セルロイドはフィルムへと発展を遂げるもやがてプラスチックが普及し、樟脳の需要は激減。
樟脳の生産所は次々と消えていって現在に至る。
内野さんのところでは、昨年6月にご主人が亡くなって存続が危ぶまれたけど、奥さんを地域の人たちでサポートして、暮れに製造を再開したところなんだそう。
何とも絶妙のタイミングで訪れたものです。
※写真は原料のクスノキと、奥にあるのはクスノキを削ってチップにする機械。
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