台風18号も無事去り、風爽やかな18日、三連休で少々退屈気味風な相方を誘い、「兵庫陶芸美術館」、今泉今右衛門の展覧会に出かける。
数年前の5月、陶器の里、唐津で今右衛門の陶器は見たつもりだったけれで、連休の陶器市で大勢の人&駆け足の旅、残念ながら余り覚えていない。
おまけに伊万里の近く、幕府の頃の今右衛門の釜があったという大川内里山も時間の都合で行けておらず ( ;∀;)でして・・・・・・。
兵庫陶芸陶芸美術館は篠山市の郊外、山に囲まれた静かなところ。
10年ほど前に訪れた事はあるけれど、こちらも陶芸の村に行った記憶しかなくて・・・・・。
(美術館より臨む)
現在、今右衛門は14代。
墨を使った、薄墨墨はじという技法の雪の結晶、また宇宙をイメ-ジした意匠の作品が特徴。
14代の作品の後は、13代、12代、11代、10代と年代の作品を見る。
のちは17世紀~18世紀。
写真は持っていた色鍋島の本より抜粋。本と同じ作品が展示されており嬉しくなる。
初期のころの色は、なんとなく味わいがある。
細工に細工を加えた、こんな素晴らしい器で、将軍そしてその家来たちは食していたのだろう。
鍋島焼は、佐賀藩主鍋島直茂が朝鮮出兵で帰国の時、朝鮮陶工を連れて帰り、自藩で焼かせようとした事に始まる。
そして、陶工の一人、李参平が有田の泉山(今も残っている)で磁器の原材料を発見し、多くの焼物が焼かれる様になる。
焼かれた多くの陶磁器は、伊万里港から船で運ばれ、又、長崎の出島でオランダ貿易を通し大量にヨ-ロッパに輸出され、伊万里焼として有名になる。
ビデオの説明によると、初期の頃は器の形成をするものと絵付け役とは分かれていたそう。
今泉家も初期は絵付け、赤絵屋だったけれど、幕府崩壊した後は自分の釜で焼き、そして絵付けをしたという。
現在作品もさることながら、歴史ある陶磁器にふれ心豊かな一日だった。
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