H18.12月1日(金)京都北野神社にて、献茶会があり、参列券を頂戴しましたので行って来ました。
ここ、北野神社では、豊臣閣の大茶湯の盛儀を偲んで、明治十一年より献茶保存会が組織され、以来、三千家、薮内、久田、堀内の各家元が交代で献茶をされています。
境内にある、”松向軒”、”明月舎”を初め、”上七軒歌舞練場”その他数箇所で、協賛釜がかかりました。
今年は藪内家が献茶されました。
家元、若宗匠で濃茶2椀、薄茶2椀を点てられ、献茶されました。
茶を点てられる時は息がかからないようマスクをされ、点てられた茶には蓋をし、
雅楽の演奏と共に、半東をへて、宮司さん、権宮司さんと手渡され、供えられました。
菅原道真公の魂はさぞ満足されていたことでしょうね。
献茶祭に参列しましたのは、初めての経験で、神聖なものを感じました。
私は全部の席にお邪魔したので全部で5服もいただきましたわ。(これぞ満服)
”明月舎”でのお席は薮内家で、私が習いました裏千家とは、襖の開け方、歩き方、茶杓、茶筅の清め方、袱紗捌き、茶碗の拭き方・・・・等々、細かいところでは全てが異なり、新鮮で、楽しい体験でした。
歌舞練場のお席は立礼で芸子さんの点前(裏)、舞妓さんのお運びで、これまた艶やかで楽しいお席でした。
盛りだくさんのお席で感謝、感謝の一日でした。
(宮司さんが薮内家に挨拶)
(北野神社の神殿)
(上七軒歌舞練場の立礼席)
*北野天満宮
学問の神様、菅原道真公を祀る。
道真公は優れた政治家&学者で、早い昇進に心良く思わなかった藤原時平らにより九州、太宰府に流され、2年後に当地で死去。
彼の死後、京都では雷火、地震、洪水が度々発生、又皇室や藤原一族に不慮の災難がおこり、都民はこれを道真公のたたりと恐れ、朝廷が現在地に御霊をお祭りしたのが始まりとされる。
当宮には国宝、日本書記、北野大茶会高札を初め、優れた工芸品が納められている。
★毎月25日の天神さんには骨董商が店を出します。
各地からの客であふれ、外人さんも混じり楽しい市です。
我が家より車で10分余り、私も時々掘り出し物を見つけに行きます。
ここ、北野神社では、豊臣閣の大茶湯の盛儀を偲んで、明治十一年より献茶保存会が組織され、以来、三千家、薮内、久田、堀内の各家元が交代で献茶をされています。
境内にある、”松向軒”、”明月舎”を初め、”上七軒歌舞練場”その他数箇所で、協賛釜がかかりました。
今年は藪内家が献茶されました。
家元、若宗匠で濃茶2椀、薄茶2椀を点てられ、献茶されました。
茶を点てられる時は息がかからないようマスクをされ、点てられた茶には蓋をし、
雅楽の演奏と共に、半東をへて、宮司さん、権宮司さんと手渡され、供えられました。
菅原道真公の魂はさぞ満足されていたことでしょうね。
献茶祭に参列しましたのは、初めての経験で、神聖なものを感じました。
私は全部の席にお邪魔したので全部で5服もいただきましたわ。(これぞ満服)
”明月舎”でのお席は薮内家で、私が習いました裏千家とは、襖の開け方、歩き方、茶杓、茶筅の清め方、袱紗捌き、茶碗の拭き方・・・・等々、細かいところでは全てが異なり、新鮮で、楽しい体験でした。
歌舞練場のお席は立礼で芸子さんの点前(裏)、舞妓さんのお運びで、これまた艶やかで楽しいお席でした。
盛りだくさんのお席で感謝、感謝の一日でした。
(宮司さんが薮内家に挨拶)
(北野神社の神殿)
(上七軒歌舞練場の立礼席)
*北野天満宮
学問の神様、菅原道真公を祀る。
道真公は優れた政治家&学者で、早い昇進に心良く思わなかった藤原時平らにより九州、太宰府に流され、2年後に当地で死去。
彼の死後、京都では雷火、地震、洪水が度々発生、又皇室や藤原一族に不慮の災難がおこり、都民はこれを道真公のたたりと恐れ、朝廷が現在地に御霊をお祭りしたのが始まりとされる。
当宮には国宝、日本書記、北野大茶会高札を初め、優れた工芸品が納められている。
★毎月25日の天神さんには骨董商が店を出します。
各地からの客であふれ、外人さんも混じり楽しい市です。
我が家より車で10分余り、私も時々掘り出し物を見つけに行きます。
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