S.E裏千家茶道教室 お茶のひと時

つれづれなるままにパソコンに向かいて
心にうつりゆく茶道教室の話題を書きつくれば。。。。

中国お茶の旅(総集編)・・・・後編

2012-05-23 11:53:41 | 紅茶、茶道&マナ-のお話

☆Day4:(5月9日)

武夷山で一杯汗をかいたので、昨夜は洗濯おばさんで、寝たのは12時。

本日、起床は6時です。

何時もは睡眠不足だと、グロッキ-になるのだけど、ウキウキ旅の空、未だ元気です。

武夷山の食事が美味しく、一杯食べたせいと思う。

今朝は、アモイ、Sheashine Hotelで初めての朝食。

竹の子のザ-サイ風、ベ-コン、大好きな黒オリ-ブ・・・・その他いろいろと頂く。

全部美味しいです。

一杯食べて、今日一日元気でこなさなくては・・と思い、何時も以上の食欲です。

本日は、チャイニ-ズの人達と一緒のバスで、アモイから約2時間のところに有る、華安土楼に行く日です。

日本人は私だけ。

通訳の黄さんと、ホテルのロビ-で待ち合わせ。

黄さんは、さわやかなイケメンで、30歳とか。私の次女と同い年!!

8時過ぎ、皆を乗せたバスは、土楼へと向かいます。

御存知の様に、土楼とは、客家(はっか)の住宅です。

福建省には大小、7000の土楼があり、今回参加の土楼は、世界遺産福建土楼群の3つある観光地の一つです。

着きました。ここからカ-トに乗って中に入ります。

 (快晴で日傘が必要なくらい、暑い~~。30度はありそう)

 (世界最大の土楼、”二宜楼”・・・水も良い、山も良いと言う意味

 下の部分は石で積み上げられ、石の幅は2、5メ-トルもある)

(1740年に30年かかりで作られ、以前は500人、今は50人が住み、

現在は10代目の方が観光案内を果ね、管理。

客家は元々、黄河流域に住む貴族で、秦の始皇帝時代、多くの少数民族が殺され、客家も追われて、今の地に住むようになったという。

悲しい歴史が詰まっているのですね。

ちなみに、シンガポ-ル元首相、リ-クアンユ-も客家出身です。

 

左:(この石穴から、帰宅したことを告げると、門が開く) 右:(高菜の干したの)      

(今、土楼に住む客家の人は、鉄観音を作り生計を立てている)

      (茎と葉をより分けている)

チャイニ-ズの人はなんであんなに大声で話すの?

お昼ごはんの時も、バスの中も・・・・・・少々中国語に食傷気味で、再びバスでアモイ市内へ。

☆Day5:(5月10日)

あさ9時、今日は鉄観音の里、安渓へ。

昨日とうって変わって、朝から強い雨。

ガイドの車で約一時間半くらいかけて安渓の街へ。

まず着いたのが、「茶葉大観園」。

そこで、中国語で書いてある、お茶の製法を尋ねると、ガイド、”お茶の専門的な事は知らないと”言う。

鉄観音の茶畑、茶葉市場、茶工場を廻る、ツァ-で、それなりにツァ-料金払っているのだし・・・・と思わず言いたくなる。

日本語も今一つで、茶畑も遠いというし、今から思うと、茶工場にも行かなかったなぁ~。

茶市場で購入した今年の鉄観音も、被害妄想かもしれないが、試飲したのとは違うのを買わされた気がする。

試飲しておいしかったのに、家で飲んだら、香りもしなく美味しくない。

     (市場で鉄観音を売る人)

 ガイドの当たりが悪かったと思い、満足感も無く、ホテルへと帰る。

明日はいよいよ、アモイ~杭州に移動する日。

アモイといえば、観光名所の、”コロンス島”がある。

アモイ本土からフェリ-で行くのだけど、未だ行ってない。

フェリ-は早朝6時から運行。

そうだ!杭州行きのフライトは12:00、早朝のフェリ-に乗れば行けそうだ・・・そう思ったとたん急に嬉しくなり、5時のモ-ニングコ-ルをお願いして、ベッドイン。

☆Day6:(5月11日)

5時に起床し、5:45分にタクシ-で、コロンス島行きフェリ-乗り場へ。

着いたのは、6時過ぎ。

いつもは、観光客でごったがえす乗り場も、深閑として、ごみ拾いのおじさんが居るくらい。

往復8元(約105円)でチケットを買い、船に乗り込む。

(フェリ-の中より眺める、アモイ市街・・・シンガポ-ルの風景に良く似ている)

 ガイドさんの話だと、シンガポ-ルに似せて造ったとか。。。。)

 

 (朝のコロンス島の街)                 (高さ約92メ-トル、日光岩の頂上にて)

長崎の平戸で、中国人の父、日本人の母との間に生まれた、鄭成功(ていせいこう)が

コロンス島の日光岩(以前は晃岩と呼ぶ)に登り、眺めた景色が日本の日光山に勝るとして、晃の文字を二つに分け、日光岩とした。

写真からは想像もつかない程、、この岩の頂上から眺めた海とアモイの景色は最高!

早朝のロコンス島行きは、大正解。

8時半、帰りのフェリ-の船着場は、もう観光客でごったがえしている。

タクシ-でホテルまで帰り、朝食を頂き、ホテルに別れを告げ、杭州行きの為、アモイ高崎国際空港へ。

空港着10:45分。早々にチェックインを済まし、搭乗口へ行って待つ。

少し遅れ、中国東方航空に乗り込み、機上の人となる。

 

約2時間のフライトで、杭州の空港へ到着。

早々に荷物を受け取り、タクシ-で、今夜お世話になる、杭州華辰国際飯店と行く。

杭州の町も高層ビルが一杯、車が一杯。

45分かかり、ようやくホテルへ。

チエックインを済まし、部屋に案内されたが、予約していた部屋とは違う。

何とか英語が通じ、少し上のランクの部屋に通され、ようやく安心。

少しのごたごたで、時間はもう3時半。

杭州滞在は、2日間。急いでタクシ-に乗り、龍井問茶に行く。

そしたら、タクシ-のおじさん、「龍井問茶は山の方だから、今から行っても帰りのタクシ-がないから、200元にしておくから、帰りもどうだ?」・・・と言う。

何とか、中国語で理解。人の良さそうな、このおじさんのタクシ-に、お世話になることする。

村の中頃で、タクシ-を下り、おじさんを待たせ、一人で村の中をぶらぶらする。

 

        (山の中腹に開かれた茶畑)

(18棵御茶園・・・清の皇帝が摘み皇帝に飲ませたと言う、18本の茶樹)

暫く歩き、この茶園の中でお茶タイム。

ここの、カフェのお茶の値段は、78元(約1000円)~288元(約3700円)とある。

私は中を取り、118元(約1500円)のを頼む。

やはり、こういうところで頂くと・・・です。

杭州の龍井茶は、マグカップに茶葉を入れ、85℃くらいのお湯を注ぎ、暫く蓋を開け、

そして、飲む。

お茶のお供は、トマト、ピ-ナッツ、かぼちゃの種、ロンガン....etc。

早朝より、バタバタだったので、美味しいお茶を頂き、少しほっとしました。

それから、獅峰山の麓の村に行き、今年の龍井茶を少し購入する。

ここ、龍井茶の茶摘は、3月末~4月末までで、4月4日の清明節の一週間前に摘んだお茶が、美味しいといわれる。

私の買ったのは?まぁ中位の値段だったので、そんなに特別な時期の、お茶ではないでしょう。

もう夕暮れ近く、おじさんのタクシ-で、 市内に戻る。

約2時間半くらいお世話になりました。親切なおじさん(といっても年は、私より若い、47歳)

に少し心づけを渡すと、おじさん「ありがとう」・・・と日本語でした。

明日は、南宗時代、日本の禅僧も訪れた、径山に行くので、早々にベットイン。

 

☆Day7:(5月12日)

華辰国際飯店の朝のブッフェも美味しい。

本日に備え、又~一杯頂く。

8時、ホテルでガイドさんと、待ち合わせ、いざ、径山寺へ。

車で走ること、約1時間で、平山村に着き、そこから、山の中のカ-ブの道をひたすら、

海抜700メ-トルの径山へ登って行く。

周りには、茶畑が広がる。

ここで、大いに勘違いをした事を、帰国後知る。

それは・・・・誰かのブログに、”径山寺は、栄西も訪れたであろうと”書かれていたので、

てっきり、栄西が訪れたお寺と思っていたのだけれど、栄西が、1168年、最初に訪れた寺は、同じ杭州の「天台山、万年寺」・・・ではないか!

しかし、考えてみると、栄西は1187年に再び、中国を訪れ、4年も滞在している。

中国は禅が盛んな、南宋の時代、禅の勉強に径山寺に行った可能性も、無きにしもあらず・・・と思い直したりもしている。

ようやくお寺に着きました。

お寺の中を歩いて、知りました。

栄西のあと、1233年、聖一国司、続いて、1259年、南浦紹明(なんぽじょうみょう)が、このお寺に参禅しているのです。

南浦紹明は、約24年滞在し、当時の喫茶の習俗、台子一式、そして、お茶の種を持って日本に帰国しています。

お茶は静岡県に植えられ、台子は崇福寺→大徳寺→天龍寺と伝わり、夢窓国師が点茶に使ったとされます。

やっぱり、このお寺は、日本の茶道の原点に、限りなく近いのかも知れません。

今は車で近くまで来られますが、約800年前は秘境に等しかったのでしょう。

禅僧が参禅した古道が、今も残されており、私とガイドさんは、登るのは大変と言う事で、約1時間かけて、下りました。(^_-)-☆

 

       (竹が一杯の古道を下る)

        (古道の上り口)

唐の時代に、茶の植物的な説明、製茶の道具、お茶の作り方、茶の点て方、飲み方・・・お茶に関する総合的な書物、「茶経」を書いた”陸羽”も、径山寺の麓に住んでいた事があるので、訪ねる事にしました。

              (陸羽の像)

    (ここに、陸羽が住んでいたと言われる)

陸羽が住んでいた場所が、径山寺の麓であった為、参禅は予定より早く終わり、市内に戻り、「中国茶葉博物館」に下ろしてもらい、見学に行くことにする。

     (博物館の敷地にも茶畑がひろがります)

丁度12日は土曜日、大勢の観光客で一杯。なんだか余りまわる気がしなくなり、

早々に引き上げ、バスに乗り、ホテルへと戻る。

満員のバスは殆ど現地の人。団体さんが乗り込んできたり、携帯で大声で話す人が居たりで、あぁ~~疲れる。

今日は杭州最後の日。

自分へのご褒美に、ホテルの近くのマッサ-ジ屋さんに行く。

足のマッサ-ジ、90分で128元(約1600円)をお願いする。

その、マッサ-ジが上手な事、 毎日でも通いたくなるくらい。

明日は早朝、未だ行けてない”虎跑泉”に行く予定。

5時にモ-ニングコ-ルをお願いし、早々にベッドイン。

 

☆Day8:(5月13日)

予定通り5時起床。

”虎跑泉”は6時に開門なので、5:40分ごろホテルの前からタクシ-に乗る。

6時前に着きました。

ここ”虎跑泉”は名泉で、昔、水の乏しかったこの一帯に、仙人が2等の虎に泉を掘らせた伝説から、この名前がついたという。

早朝の為、観光客は私一人、近所の人々水汲みに来ている。

門をはいると、もう森の中。

泉を求め、どんどん森の中を進んでいくと・・・ありました。

     (この池の前方が虎跑泉です)

               (虎跑泉)

今は、ガラスで覆われ、その姿しかみられません。

とくと~~と湧き出る泉を想像していたのですが、少々がっかりです。

それでも、2日間の短い滞在で、行きたかった場所に行け、満足です。

ホテルに引き返し、朝食を食べ、最後に西湖を眺めにいきました。

きょうは、シトシト雨の西湖です。

これで、私の中国お茶の旅も終わりに近づきました。

満足と少しの寂しさが入り混じります。

ホテル、杭州に心の中でお礼を言い、12:00発の飛行機に乗るため、タクシ-に乗り込みます。

フライトは、中国国際航空、CA1596,杭州12:00→北京14:00。

そして、北京発16:25→関空20:30着。

早い目に空港に到着したのに、杭州発が12:40分と遅れる。

それでも、早々にチェクインし、搭乗口で待つのですが、なかなか呼ばれません。

結局1時間半の遅れで、結局、杭州を出発したのは、1時半。

大幅に遅れ、北京空港に着きました。

焦ること~~、早足で国際線の搭乗口、14番に向かう。

おまけに、14番は一番端っこです。ようやく到着した時には、もう皆は飛行機の中。

フライト、20分前、滑り込みセ-フです。

 無事関空に着きました。

荷物を待っていたら、JALの人が、私の名前を呼びます。

「貴方の荷物、北京で積み忘れで、この便には乗っていません」 ”オウマイゴッド”

・・・翌々日、ささやかなお土産のお茶が入ったトランクが、無事届きました。・・・

初めて見る土地への期待、お茶の聖地の着地の嬉しさ、新しいお茶の知識、親切で優しい人達との出会い、異文化の暮らし、景色、・・・etc.

宝物が増えました。

貴重な宝物を糧にし、これからも、お茶に関わって歩いていきたいと思います。

自己満足な旅行記、最後まで読んで下さった皆さん、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 


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2 コメント

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Unknown (H,S)
2012-06-05 17:06:03
アラカン女一人旅 無事でなにより!
おかえりやす^^
中国って広い!800年前の人達は知らない国へ渡るの怖くなかったのかなあ…。
昔 北京へ行った時何もかもが大きくて広くて不安になったのをおもいだした。
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コメントありがとう (surrey's tea room)
2012-06-06 21:45:03
前編に続きコメントありがとう!

禅の聖地への旅、恐れより追求心の方が勝っていたのでしょう。
偉人は時代を超えるのですね。
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