博多座コンから帰ってすぐ仕事だったので、今日になってようやくじっくり余韻を噛み締めています。
KIINA.の演歌の凄さ。どの曲も休養前より表現力に深みが増していることに、感動というより唖然としてしまいました。
1日めの終演後、KII友さんにお誘いいただいての打ち上げで飲んだビールの美味かったこと!
メンバーはKIINAの大好きな老若男女。デビュー前、BSのオーディション番組から注目していたという古強者(笑)から、紅白限サバで沼にハマったという若者(ご本人は「若くありません」と)、KII友さんのお連れあい、私のような半端者まで、あんな楽しい飲み会は久しぶり。
博多の食べ物がどれも美味しかったのはもちろんですが、何よりのご馳走はKIINA.の歌声の余韻をみんなで共有したことでした。
セットリストを振り返ってみて気がついたことがありました。
「藤枝しぐれ」と「番場の忠太郎」をフルコーラスで歌っていたことです。
2曲ともひとつの物語を歌っています。
演歌は往々にして2番を飛ばして歌うことがありますし、飛ばして歌っても破綻がないよう無難な内容を挟みこむことが多いのですが、「番忠」は2番がなければ母に再会する期待と、それを裏切られた忠太郎の落胆が伝わりません。
幼い子どもを亡くした渡世人の孤独を歌う「藤枝しぐれ」は、むしろ2番にこそこの曲の肝があると言っても過言ではありません。
「演歌は3分間のドラマの主人公になりきる世界」と常々口にしていたKIINA.。休養前にはそのことに物足りなさを感じることもあったのではないでしょうか。
でも、こうして「氷川きよし」の部分で演歌を歌っていくと腹を決めた今、やるならとことん主人公になりすます、じゃなくてなり切ってやると覚悟を決めてのフルコーラスだったのだと思います。
「番忠」の最後の「おっ母さん…」の切なさには目頭が熱くなりました。
「藤枝しぐれ」では、足元に絡みつく男の子の姿が確かに見えました。
たった3分、されど3分。どんな名曲も最後は歌い手次第なのだと、改めてKIINA.の演歌を聴ける幸せを噛み締めています。
それと、こちらは本筋とは違うのですが、「待ってました!」の「無法松の一生〜度胸千両入り〜」。「度胸〜」の歌詞の中に「揃いの浴衣の若い衆は 綱を引き出し音頭とる」というフレーズがあります。
恐らく本来の歌詞は「若い衆"は"」で、JASRACにもそう登録されているのだと思いますが、何度もレコーディングされている村田英雄さんも、2度CDをリリースしているKIINA.も「若い衆"が"」と歌っているのです。
本当は「は」と「が」では、若い衆の綱を引く意味が微妙に違うのですが、曲の大勢に影響はないので、恐らくは歌い手のその時の気分で好きに歌っているのでしょう。
KIINA.も大抵のステージでは「若い衆"が"」と歌っていますが、今回の博多座では「若い衆"は"」と歌っていました。
私はやはり本来の歌詞である「若い衆"は"」の支持派なので、今回の博多座が実に堂々とした迫力ある「無法松」でしかも「若い衆"は"」と歌ってくれたことに、いたく感激してしまいました。
KIINA.ご自身は無意識だったのかもしれません。