KAN'S BEAR ROOM カンズべアルーム~テディベアの部屋~神林宜子

テディベア、わんこ、音楽、ドラマ~好きなことなんでも何でも詰め込んだお部屋です。

ミモザ

2011-09-30 13:15:43 | テディベア
秋らしい色合いの新作ベアです。
やっとニットを編む気になる
季節になりました。

作品のお問い合わせは
KAN’S BEAR HPから
お願いいします


そうだったのか。

2011-09-11 06:55:21 | 日々のこと
昨日の朝のラジオを聞いていたら
すごく納得するお話があったので
ひとつ。

「原発の立地している市町村は
そこからの電力を使用している地域の
植民地。」

な~るほど。そうだったんですね。

うちは柏崎刈羽原発の地元です。
今まで市の財政にゆとりがあったのも
原発のおかげでしたし、国からの交付金も
ありました。仕事をもらっている人も
たくさんありました・・・だから
何か大事があった時には、
どれ程の代償があるかを知りながら
原発王政には何も言えませんでした。

植民地・・・でしたから。

昨日、いらん事を言って
何にも仕事をしないうちに
大臣が辞めましたね。

植民地の住人が住む地を追われても
まるで、他人事。

私の小さかった頃、
高校教師の父達は、原発反対のデモに
行っていました。機動隊と対決していました。
高校の国語の試験では
原発についての問いに、ちゃんと反対意見を
書かないと点数が悪かったという
珍事もありました。
子供たちの未来のために
先生方は必死でした。
今思えば植民地化されないために。

それ以前に私には幼少の頃に
切ない思い出があります。

よく遊んだ砂浜、きれいな花が咲いていた
砂山・・・防砂林・・・
ある日、立ち入り禁止の有刺鉄線が
張り巡らされ、もうそこには行けなく
なりました。
原発立地のためです。

海はいつもそこにあると思っていました。
どこかに行ってしまうなんて
思いませんでした。

幼い時の記憶はいつまでもあります。
あの砂浜で拾ったメノウとともに。

高校を卒業して東京に行って
同じ寮の子が貸してくれた
浜田省吾さんの「promised land」の
「僕と彼女と週末に」をはじめて聴いた時に
大泣きしました。
フェンスの向こうに行った海と
いつか来てしまうんじゃないかという
故郷の未来に。

今年3月11日。ちょうど今日で半年が
経ちます。
あの地震津波による原発事故を
目の当たりにして、
「あれは私のところでも起きた可能性のある事故」
であると思いました。

中越沖地震後、柏崎刈羽原発でも
度重なる火災がありました。
電気系統からのものだとか、
周囲の枯れ枝からのものだとか
言われていましたが、もっと教訓として
大地震や津波で電気系統が全て
やられてしまった時の
代替電源の確保など他の原発でも
対処を考えていたら、こんなふうにまで
ならなかったのでは・・・など、思います。

原発はクリーンで安全。
安全という言葉は本来、危険なものにしか
使われません。

植民地の住人に安心感を
植え付けるための言葉に使っても、
扱っている人達はもっと
注意深く何重にも安全に保たなければ
いけない危険なものと向き合っていると
いう意識を持っていると
思っていましたが・・・違いました。

福島を見捨てるようなことは
許せません。
20年、30年住めないというのなら
代替の地として希望されるところを
国が代償として提供すべきです。
本当に安全で安心な土地を。