昨日までは、子登『真俗仏事編』巻5に収録されている「春秋彼岸仏事」という文章を見ていたが、採り上げ終わった。よって、今日からは江戸時代の真言宗・諦忍妙竜律師の『空華談叢』巻1に収録されている「彼岸」という文章を見ていきたいと思う。
問、二月・八月の彼岸と云は如何なる義ぞ。本拠ある事なりや。
答、是は本邦にて始りし事にて、天竺・支那に本拠なき事なり。
善導観経疏日想観の下に、唯だ春秋二際を取りて、其の日正東より出で、直西に没す。弥陀仏国、日没の処に当たれり、と云へり。
摂州四天王寺の西門に、聖徳太子自筆の額あり。釈迦如来転法輪処、極楽東門中心に当たれり、と書り。
是等の因縁に因て、二季の彼岸に天王寺の西門にて、落日を拝して往生を願ふ事、古来甚だ盛なり。
「彼岸」項、諦忍律師『空華談叢』巻1、カナをかなにするなど見易く改める
以上が「彼岸」という項目の最初の部分である。それで、本書は基本、問答体で話が進むのだが、ここでは問者が、「2月と8月の彼岸とは、どのようなことか?何か典拠があることなのか?」と尋ねている。2月・8月に違和感を抱いた人は鋭いと思う。これは、旧暦では2月が春分、8月が秋分だったのである。新暦で約1ヶ月ずれて、現在のように3月・9月になった。
さて、それに対する諦忍律師の答えだが、彼岸会は日本で始まったことであり、インドや中国の記録には典拠が無いとしている。ただし、幾つかの文脈を挙げてはいる。まずは、既に今回の短期連載で指摘した、善導和尚の『観経疏』に於ける「日想観」の指摘である。
また、他にも大阪四天王寺に於ける「聖徳太子自筆の額」が挙げられ、これは同寺西門の正面が真西だったものか、それを「釈迦如来転法輪処(インドのこと)」と、西方極楽浄土の東門の中心に当たる、という言葉があるという。
そして、諦忍律師は、上記内容をもって、二季の彼岸には、四天王寺の西門で、沈む夕日を礼拝して往生を願うことは、古来、大変に盛んであった、と結論付けたのである。これは、質問へ答えたものだったといえよう。
ただし、注意も必要で、聖徳太子の生没年は574~622年、善導和尚が613~681年なので、太子が善導和尚の教えに影響を受けたということは無いわけである。この辺は、勘違いをしてはならないところか。
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