つらつら日暮らし

周那からの食事について③(拝啓 平田篤胤先生45)

江戸時代末期の国学者・平田篤胤(1776~1843)の『出定笑語』の内容は、一言で言えば仏教批判である。当然にその矛先は、仏教の開祖である釈尊(釈迦牟尼仏)へと向かうが、その向き方は遠慮が無いというか、批判ありきで見ているところもある。今回は釈尊が入滅する原因となった一件についての、篤胤による扱い方を見ておきたい。

それはいやいや阿難おぬしそんなことをば云事勿れ。周那はおれにあのきのこをくれておれはそれが為に死ねばかれは大きに利を得、又寿命おも得る事じや。それはいかにと云に、我初て成道せんとするとき食をくれたる女、又この度この食の為に滅度に及べば、この二つの功徳正等にしてその施しくれたる人の利となる事じやによつてそんなこといやるなといつたでござる〈長阿ごん経〉。
    『平田先生講説 出定笑語(外三篇)』79頁


これが、前回の記事の続きとなる、篤胤がいうには「釈尊の負け惜しみ」に当たる部分だそうだ。篤胤はわざわざ典拠を『長阿ごん経』であるとするのだが、結局はここ数回見てきた、『長阿含経』巻3「遊行経第二中」からの引用で、原文は以下の通りである。

 仏、阿難に告げ、「是の言を作すこと勿れ、是の言を作すこと勿れ。今は周那、為に大利を獲、為に寿命を得、色を得、力を得、善き名譽を得、生には財宝多く、死すれば天に生ずることを得、欲する所、自づから然り。
 所以は何となれば、仏、初めて成道し、能く施食する者、仏、滅度に臨んで能く施食する者、此の二の功徳正等にして異なること無し。汝、今、往きて彼の周那に語るべし、『我れ親しく仏より聞き、親しく仏の教えを受く、周那、食を設くるは、今、大利を獲て、大果報を得る』と」。
    『長阿含経』巻3


以上の通りで、この内容からは、釈尊にとって、成道してから最初の食事を施した者、入滅に臨んで食事を施した者、その両方の功徳は等しいとしている。個人的には、前者に該当するのが誰か知りたいのだが、有名なのだろうか?いや、あれは成道する前なので、スジャーターは当てはまらないよなぁ・・・

良く分からない。

とはいえ、以上の通り、釈尊は自分の死をも、或る意味客観化して施食の功徳を説こうとしているので、「負け惜しみ」という片付け方をしてはならないように思う。そして、篤胤は更に、この一件に色々と私見をぶつけてくるのだが、その妥当性はまた次回に検証してみたい。

【参考文献】
・鷲尾順敬編『平田先生講説 出定笑語(外三篇)』(東方書院・日本思想闘諍史料、昭和5[1930]年)
・宝松岩雄編『平田翁講演集』(法文館書店、大正2[1913]年)
・平田篤胤講演『出定笑語(本編4冊・附録3冊)』版本・刊記無し

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