そこで、拙僧なりに天神さまと曹洞宗との関係を述べておかねばならないと思っているのだが、今年は江戸期に加賀大乘寺の住持であった卍山道白禅師(1636~1715)の偈頌を紹介したい。
大明方蘭坡菅神の渡宋して伝衣する像を画き、並びに賛有り。紫陽しかも生けるに斉しく、筆を援けた臨摹の精彩を加うる有り。老衲随喜して蘭坡の韻を次がん。
妙手臨摹の筆に神有り。一番の拈出一番新たなり。
無相福田相を知らんと欲せば、道うこと莫れ、梅を画いて春を画かず、と。
『卍山広録』巻21、『曹洞宗全書』「語録二」237頁
さて、この、「蘭坡」が描いたという、菅神(菅原道真公)が中国に渡って、「伝衣」したという話ですが、これは五山文学の中で示された「渡唐天神図」である(以下、詳細は【花園大学国際禅学研究所HP】参照)。
上記HPによれば、「渡唐天神図」とは「詩禅一致を目指す五山僧によって、1400年前後に創作された話で、日本の詩神である菅原道真が、夢の中で径山の無準禅師に参じて、一夜にして印可を得、梅一枝をもって帰った」という背景があり、五山では多くの書画の題材にされた逸話である。或る種の神仏習合ではあるのだろいう。
そして、卍山禅師もその絵図を参照されたのだろう。この蘭坡とは、五山を代表するような詩文家で、蘭坡景茝(1419~1501)という臨済宗夢窓派の僧のことである。詩文にて、その優れた才を発揮された。なお、実際に菅原道真公は9世紀の人、一方で無準禅師は12世紀(宋代)の僧侶だから、時代的にはかなり遠い印象も得るが、このような参学が可能になった理由などは、先のHPをご参照いただきたい。
さて、卍山禅師の偈頌だが、先の蘭坡の絵に対し彩色を施した者がいたらしく、その素晴らしさを讃えつつ、まさに菅原道真公が無準禅師の下で行われた修行について、袈裟の意義を知り、また梅の華が咲くという事実すらも感じ取ってきたとされた。梅華は、道真公の和歌にも詠まれ、関連したことであるから、ここに入ったのである。
我々もまた、春と梅華と、そこに活き活きとしている天神・菅原道真公の在りし日の姿を想い、御供養申し上げたい。