又、仏世尊は此身はどうした物じや、心はどうした物じやと云ふことを、明かに思惟なされて、菩提樹下にて廓然大悟なされたが、今日の仏世尊釈迦如来じや、此仏世尊に帰依し奉るを帰依仏と云ふ、
又、仏も法を以て師とすとあつて、法に依て修行されたが、今日の者も法に依て出離生死の道を修行するに依て、次に法に帰依し奉る是を帰依法と云ふ、何を法と云ふならば、仏の世に出現なされたは、一切衆生に真実の道を御示しなさる事より外は、仏の御用はないが、其御示しなされたが今日の御経じや、まあ是が法で世間の十念を授くるも、一分の帰依法じや、法華の題目を唱へるもの、一分の帰依法じや、
又、僧と云ふは仏在世の迦葉・阿難からして、歴代の祖師乃至今日の剃髪染衣の者が僧じやが、仏の御説法を迦葉・阿難等の羅漢達が、記録して経になされて、今日末世迄も伝はるは僧がある故じやに依て、今日の出家が、少々心は純一になくとも、剃髪染衣の出家たる者をば、隨分疎末にせぬがよい、是が隨分の帰依僧じや、
『慈雲大和尚法語』巻下・3頁、段落や漢字表記など見やすく改める
いわゆる仏法僧とはどのような存在であるかを示したものである。一方、これは宝暦12年(1762)の記録であることも頭に置いて読まなくてはならない。つまり、当時の三宝が、どう扱われていたのかを確認する必要があると言える。
まず、仏宝であるが、この場合、仏像などを挙げるのでは無く、かの菩提樹下にて大悟成道された、釈迦牟尼仏をもって仏世尊としている。その仏に帰依をすることを、帰依仏としている。
続いて法宝であるが、慈雲尊者は法の優越を説く。つまり、仏世尊であっても、法に依って修行するからこそ生死を出離したとし、帰依の対象としている。これが帰依法である。ところで、慈雲尊者は「十念(浄土宗の引導)」についても、「法華の題目(日蓮宗)」についても、帰依法であるという。「十念」とは、「南無阿弥陀仏」を10回唱えることだろうけれども、それを「帰依法」としていることが気になるが、その内、慈雲尊者の念仏観などを確認する機会を得たいものだ。
また、今回問題にしたい僧宝についてである。慈雲尊者はまず、迦葉尊者や阿難尊者という理想的存在を挙げているが、これだけで終わると、結局は理想主義者に堕すところだが、流石は現実をしっかりと見据えていた慈雲尊者、迦葉尊者などだけでは無く、その後の?代の祖師も僧宝とし、また、同時代の剃髪し、袈裟を着けただけの者も僧宝だとしている。何故ならば、こういった僧宝の働きによって、釈尊の教えが当代まで届いたからである。
しかも、「今日の出家が、少々心は純一になくとも、剃髪染衣の出家たる者をば、隨分疎末にせぬがよい」という教えは、とてもありがたく拝した。これは、宝暦年間だけで無く、この令和でも同じである。問題は、慈雲尊者は「少々」と仰っているが、もしかしたら今は「かなり」かもしれない。でも、疎末にしない方が良い、というのはその通りだと思うのである。
いつも思うのは、僧侶を養えなくなるほどに追い込まれた社会には、どうあっても幸せなどが訪れないように思うためだ。無産者としての僧侶に帰依できない社会の、何と暗いことよ。
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