つらつら日暮らし

出家時の『血脈』の有無について

色々と読んでいる時に、以下の一節があることに気付いた。

洞下は、永平祖師の家訓にて、剃髪の時、大乗戒の血脈を授かって、皆な菩薩僧なれば、剃髪戒臘が、祖意に叶うなり。
    面山瑞方禅師『洞上僧堂清規行法鈔』巻5「僧堂新到須知」


実は、この一節を見て、拙僧は困ってしまった。その理由として、上記一節で、面山禅師は出家時に「大乗戒の血脈」を授かるとしている。ところが、面山禅師が編集して敷衍したという『得度略作法』には、血脈授与の項目が見えないのである。

以前も見たことであるが、面山禅師の『得度略作法』は以下のような差定となっている。

・準備物
・奉請三宝
・十仏名
・嘆徳文
・出家の偈
・発心の偈
・剃髪
・安名
・授坐具衣鉢法(坐具・五条衣・七条衣・九条衣・応量器)
・授菩薩戒法(懺悔・三帰戒・沙弥十戒・三聚浄戒・十重禁戒)
・回向
・略三宝
・処世界梵
・退堂


以上である。そして、ここにはどう見ても、『血脈』授与がないのである。これは、拙僧自身もよく分からないところである。なお、面山禅師自身は、『血脈』の意義について、『洞上室内三物論』では、明らかに伝戒時に於いて授与される『血脈』を想定した話をされている。

そうなると、出家時に授けられるという『血脈』の意義がよく分からない。また、面山禅師は出家時の状況を明らかにするための書類・文書については、以下のように指摘されている。

祠部と云は、官の名にて、今の寺社奉行の様なるもの、その官より度牒や免丁由を出す。その中に剃髪受戒の年号月日もあり、度牒は剃髪得度の牒なり。
    面山禅師『洞上僧堂清規考訂別録』巻4「掛搭状祠部牒免丁鈔考訂」


ここでは、出家時の年月日などを記録した文書としては、「度牒」であると考えている。これは、年代的に重なる荻生徂徠などもその再興を促しており、いわば出家者の数などを時の政権が左右すべきであることを考えていたのであった。

しかし、先に挙げた『血脈』は、単純に出家時の年月日などを知るための文書としてあるのではない。いわば、菩薩戒を受けたことを示し、同時に受者に対して菩薩僧たる自覚を促す文書として機能していることを意味していよう。

そうなると、「度牒」とは明らかに相違する機能を持った文書であったに違いない。しかも、ここまで考えてくると、文書としての『血脈』なのでは無くて、仏祖が相伝してきた正法を指す言葉であるような気がしてきた。何とも理解が難しいものだ・・・

なお、あくまでも後代の話ではあるが、明治期以降の宗務当局から発出された普達を見ていくと、以下のような表現が見える。

第一 得度は満十三年以上該師僧より戒法を授与し血脈相続(得度血脈と云)得度式を完了する者之を僧侶とす
    明治18年『曹洞宗宗制』「曹洞宗僧侶教師分限称号並試験規則」


こちらに、「得度血脈」という表現が見られる。まさに、今回の記事で扱ったものと同じであるといえよう。よって、明治期以降の宗門では、伝戒時の「血脈」とは機能が異なる、得度時の「血脈」を制度化したといえよう。

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