つらつら日暮らし

今日は「サンゴの日」(令和5年度版)

今日、3月5日は語呂合わせで「サンゴの日」である。別に何てことも無いと思っていたが、サンゴは3月の誕生石であり、なんと、世界自然保護基金(WWF)でも、この日を決めているとのことである。

それで、「サンゴ」というと、一部の大乗経典を読誦している時に名前が出て来る。何でか?と思っていると、阿含部経典などでも出ているので、どこまで遡れるかは分からないが、釈尊の教えにあった可能性がある。

海中に七宝有り、何を七宝と謂うや、一には白銀、二には黄金、三には珊瑚、四には白珠、五には車璖、六には明月珠、七には摩尼珠、是れを海中の七宝と為す、今、仏道中にも亦た七宝有り。
    『恒水経』


なるほど、いわゆる「七宝」の一として、数えられていることが分かる。ただし、当方が読誦していたのは、上記経典では無い。

若し百千万億の衆生あって金・銀・瑠璃・車𤦲・碼碯・珊瑚・琥珀・真珠等の宝を求むるを為て大海に入らんに……
    『妙法蓮華経』「観世音菩薩普門品第二十五」


こちらである。いわゆる『観音経』なのだが、その長経の部分に、しっかり「珊瑚」と出ている。また、こちらは勝手に「七宝」だと思っていたが、そうか、最初を「金銀」と続けて認識していたので、7つだと思い込んでいただけで、実際には8つあるし、しかも「等」とあるから、その数に限定されているわけでも無い。

さて、中国仏教になると、この辺の説明が行われるようになる。ちょっと面白い一節があったので、見ておきたい。時代は明代なので、かなり遅い時期ではあるが、一応まで。

  珊瑚
 梵語は鉢攞娑福羅なり、此に珊瑚と云う。形は枯樹の如く、赤色なり。
 大論に云わく、珊瑚、海中の石樹に出す。
 外国伝に曰わく、大秦の西南の漲海中、七・八百里、珊瑚洲に到るべし。洲の底の磐石、珊瑚の上に生うる。人、鉄網を以て之を取る。
 述異記に曰わく、珊瑚樹、碧色にして、海底に生える。一株数十枝、枝間に葉無し。大なるは高さ五・六尺、小なるは尺余なり〈大秦、即ち波斯国なり。西天竺の外に在り、今、東海、亦た珊瑚有り〉。
    『四分律名義標釈』巻19


こちらは、その名称のみならず、形状や色等まで記載されているので、良く分かると思う。まず、形が枯れた木のようで赤色だ、というのは、珊瑚の様子を考えればすぐに納得出来よう。また、『大智度論』にも出ているようだが、同論巻10「初品中十方菩薩来釈論第十五之余」が典拠になっている。

それから、『外国伝』とは、おそらくは曇無竭(『般若経』に出て来る菩薩とは違う人なんだろうな)によって著された全5巻の文献である。訳出経典の目録類を見ていくと、同名の文献が数本あるようなのだが、とりあえずは『外国伝』の中に、珊瑚に関する記述があることを確認出来れば良いと思う。また、『述異記』とは、任昉『述異記』とも書かれるが、やはり異域について書かれた地誌というべき文献である。

それで、この『外国伝』だが、結構引用例があるようで、意外なところにも出ていた。

珊瑚、外国雑伝に云わく、大秦の西南、漲海中、七・八百里、珊瑚洲に到るべし。洲底の盤石、珊瑚、其の石上に生うる。人、鉄網を以て之を取る。
    『碧巌録』第70則・頌古への評唱


禅宗の『碧巌録』にも引用されて、「珊瑚」の解説をしていた。これは、第70則への雪竇重顕禅師の頌古に、「珊瑚樹林日杲杲」という一句があるので、それへの評唱である。なお、個人的には、「珊瑚」の採集方法が既に記載されていることに、少し驚いた。具体的には「鉄網」を用いて海底の石の上に生えている珊瑚を採集するという。

ということで、今日は「サンゴの日」に因み、仏典に見える「珊瑚」の語句を考えてみた。

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