つらつら日暮らし

授戒会を繰り返し修行した際の戒名の扱いについて

曹洞宗の授戒会は、生前に戒名を頂戴出来る修行として知られている。無論、この場合の「戒名」というのは、仏道修行者としての名前であって、一般的な観念として戒名を「死者の名前」などと扱う人もいるようだが、それは大分省略された物言いだといえる。

それで、我々は「●●○○居士」の全体を戒名だと通称しているが、本当のことをいえば、「○○」の二字を「戒名」というのであって、「●●」の部分は道号(禅宗などで用いるようになった、仏道修行者としての通称)であり、「居士」の部分は「位階」である。

熱心な方は、宗門の授戒会に繰り返し参加されるという。これは、現代的な事象かと思いきや、昔からそうだった、という話を今日はしておきたい。

在家戒弟の列は、著帳の前後によるといへども、或は貴賤によりて列を定るも可なり。もし前度受戒したるか、或は血脈のみ受しか、前の血脈の法名同じきようにと願ふ者あらば、その法名を問ひ名の上に記す。
    指月慧印禅師提唱『開戒会焼香侍者指揮』、『続曹全』「清規」巻・470頁上段、カナをかなにするなど読みやすく改めている


これは何を述べているかというと、要するに複数回の授戒会に参加するなどして、既に『血脈』を持っている場合に、そこに付された「法名」を再度用いるか、それとも、新たに付けて貰うかで、戒弟の側で選ぶことが出来たことを意味している。この一節から理解出来ることが複数あって、先のことは置いておくとしても、他にも『血脈』に「法名」が付されていたこと、それから、指月禅師は「戒名」を「法名」と読んでいることなどである。

時代的には、指月禅師の頃は、国内の一部で「戒名」と呼び始めていたともされる(浄土真宗の『真宗百通切紙』や、天台宗・真言宗系の塔婆等の書式集や、尾張藩士の天野信景による随筆『塩尻』[江戸元禄年間以降]などを典拠にする)のだが、ほとんどの場合には「法名」だったようで、上記一節からも当時の状況が見て取れることを意味している。なお、江戸時代には少なくとも浄土真宗以外では急速に「戒名」呼称が一般化し、宗門の授戒会でも江戸時代末期には「戒名」と呼ぶ事例を確認することが出来る(ただし、法名と戒名との使い分けについては、明治時代の洞門学僧達もまだ採り上げているので、宗派全体でのコンセンサスが取れていたわけでは無いようである)。

ところで、指月禅師はこの「法名」について、『血脈』の書式に因んで以下のような注意も行っている。

在家の男女は法名四字のみにて、信士信女など書べからず。法名は戒師より出づ。
    前掲同著・471頁上下段


いわゆる「位階」は書かずに「道号・戒名」の四字を書くように示している。ついでにいうと、指月禅師は「道号・戒名」の四字全体を「法名」と呼んでいる。これもまた、当時の慣習として理解しておくべきなのだろう。

以上、簡単ではあるが、記事にしておいた。

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