貧道
問、運敞の性霊集便蒙に、貧道を註して曰く、要覧に曰く、指帰曰く、道則ち物に通ずるの称なり。三乗の聖人の所証の道に属するなり。謂わく、我れ此の道、寡少なり。故に貧道と曰う。僧史略に曰く、漢魏両晋の沙門、君王に対して亦、但だ貧道とのみ称す〈已上〉。若し爾らば、支那に始れる語なりや。
答、爾らず。仏在世より言来る語なり。便蒙未だ詳に考へざるのみ。善見毘婆沙律巻の十五に曰く、若し衣鉢を売る人有らば、比丘喚び来りて、金銀を示して衣鉢を売る人に語りて言わく、貧道須く此の衣鉢を須うべし。此の金銀有らば、居士自ら知る〈已上〉。行事鈔下に曰く、五分律に寺に還る時、上座八人請門首に至りて告げて云く、檀越厚く施すこと如法なり。貧道、何れの徳が、之に堪えんや〈已上〉。業疏に曰く、沙門或いは乏道貧道と云う。以て之を訳して皆謙虚にして徳を伐らざるなり。訳して息悪と為すは、其の意を取るなり。
諦忍妙竜律師『空華談叢』巻1
江戸時代中期の真言律僧・諦忍妙竜律師による随筆から引用してみた。ここでは何を言っているかというと、「貧道」という言葉の出典などを問うている。まず、弘法大師空海の『性霊集』への運敞(1614~1693)による註釈で、『要覧』から引用して情報を挙げているが、これらは、『釈氏要覧』巻上「称謂」節の「貧道」項から引用したものである。
そして、この問者は、その情報から、「貧道」というのは、中国から始まった称号か?と尋ねているのだが、諦忍律師はそれを否定している。
典拠としては、『善見毘婆沙律』巻15や、『四分律刪繁補闕行事鈔』巻下之三を挙げて、それらがインドにまで遡る文献であることから、インド以来あったとしている。
ところで、個人的に気になったのは、「沙門或いは乏道貧道と云う」だが、この「乏道」というのは、これまで見たことが無かった。上記で諦忍律師が引用したのは元照の註釈のようだが、調べたら、他でも以下のような文章があった。
沙門とは、云わく乏道、亦た云わく、息心なり。
乏道とは、道を以て貧乏を断つなり。
息心とは、経に云わく、息心して本原に達す。
故に、沙門と云うなり。
吉蔵『百論序疏』
貧乏を断つというのは、ちょっと意味が分からなかったのだが、普通に考えれば、経済的な貧乏にとらわれないことだろうか。しかし、「貧道」であるが、禅宗だとおそらく、以下の一則での使用例がとても有名だと思う。
挙す、東印土の国王、二十七祖般若多羅を請して斎す。
王、問うて曰わく、何ぞ看経せざる。
祖、云わく、貧道、入息、陰界に居せず、出息、衆縁に渉らず、常に是の如き経を転ずること、百千万億巻。
『宏智録』巻2「宏智和尚頌古」
後に『従容録』などで、「東印請祖」とも呼称される一則である。ここでは、禅宗の西天二十七祖の般若多羅尊者が、自称として「貧道」と用いている。よって、禅宗の伝承では、インド以来使われていたとはいえるが、この辺、事実といえるかどうかが微妙なので、典拠としては薄いわけである。
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