盧舎那と十方金剛仏に帰命す、
亦た前の論主、当覚の慈氏尊に礼す、
今、三聚戒を説く、菩薩、咸く共に聴け、
戒は大明灯の如し、能く長夜の闇を消す、
戒は真実鏡の如し、法を照らして尽く遺すこと無し、
戒は摩尼珠の如し、物を雨ふらし貧窮を済う、
世を離れ速やかに成仏するは、唯だ此の法を最と為すのみ、
是の故に諸菩薩、応当に護持に勤むべし。
『菩薩戒本』
このようなものなのだが、だいたいの意味を取っておきたい。
冒頭部分から訳していくのだが、盧舎那仏と十方の金剛仏に帰依する。また、論主であり、将来に仏陀になる弥勒菩薩にも礼拝する。今、三聚浄戒を説く、菩薩よことごとくともにこの教えを聞け。
戒は、大なる明灯(灯明に同じ)のようなものである。長夜の闇の如き、迷いを照らして消す。戒は、真実の鏡のようなものである。真実の法を照らして、何も遺すことは無い。戒は、摩尼宝珠のようなものである。あらゆる物を出し、経済的困窮者を救う。
そして、世を離れて速やかに成仏することは、この法を最上とするのである。よって、諸菩薩よ、まさに護持に勤めるべきである。
さて、問題は、「三聚浄戒」を説いていることになっているが、何故か、「戒の3つの譬え」になっている。しかし、慎重にその内容を読み解いてみると、確かに「大明灯」は「摂律儀戒」に該当し、「真実鏡」は「摂善法戒」に該当し、「摩尼珠」は「摂衆生戒」に該当する。
つまり、「三聚浄戒」を「菩薩戒」として、示しているのである。
それから、本書では「四波羅夷(ただし、瑜伽戒系)」と、「四十軽戒」とが説かれているが、結局、冒頭の偈文に於ける「三聚浄戒」を基底として、他の戒を収めたのであろう。
個人的には、ここで「盧舎那」が出ていることが気になるのだが、もちろん、中国成立の『梵網経』とは関係が無いはずだし、菩薩戒に於ける「盧舎那仏」の位置付けについては、更に検討していきたいが、別の記事で行うことだろう。
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