つらつら日暮らし

或る薬石の話

道元禅師が禅林にとっての夕食にあたる「薬石」について、それを行ずることを許していたかどうか、文献上は『示庫院文』にそれが見えるとはされるが、あの文献だけでは正確な判断は出来まい(その由来が不明瞭であるため)。然るに、道元禅師の他の著作も含めて、「薬石」で調べてみると、このような一節を見ることが出来る。

 地蔵院真応大師〈玄沙に嗣ぐ、諱は桂琛〉玄沙忌の為の斎に、報恩和尚を請して薬石を喫す。
 報恩、供養位を看るに、真の有ることを見ず。遂に師に問う、「還た、真有るや」。
 師、手を以て揖して云く、「看よ」。
 報恩云く、「元来、真無し」。
 師曰く、「太だ看ざるに似て、相い似たり」。
    『真字正法眼蔵』上25則


この一則の出典は『宗門統要集』であり、『聯灯会要』にもほぼ同じ文脈があるけれども、字句の同異の関係で前者が出典だろうと思われる。それにしても「斎」について、昼食を意味することと、法事の後席を意味するとはいうけれども、それは中国からだったのだろうか?確かに、『禅苑清規』には「非時食」の解説に「薬石」を指摘するので、おそらくはそうなんだろうとは思うのだが年代的にこの一則の方が、『禅苑清規』より200年くらい前の話なので、同じ意味を共有していたかは分からない。ただ、おそらくそうなんだろう。

なお、道元禅師は『示庫院文』で、「乃ち仏祖会下の薬石なり」と、薬石が仏祖の会に於いて行われる事を明言している。その明言されている理由は、多分に『禅苑清規』の記述に依拠されたためであろう。

非時食〈小食・薬石と果子・米飲・荳湯・菜汁の類、斎粥二時に非ざるが如し。並びに是れ非時の食なり〉。
    『禅苑清規』巻1「護戒」項


このようにあるので、斎粥二時以外の「非時食」としての例外規定であると見るべきである。よって、先の『真字』の文章に返ってみると、玄沙師備禅師という、地蔵桂琛禅師の本師を供養する際に、報恩・・・誰だ?玄沙の法弟になる報恩懐岳のことだろうか?まぁ、その辺を呼んで共に供養したことになる。

で、後は供養する時に、真(遺影。当時は勿論、絵画であった)が無かったので、その報恩が地蔵に対して、「遺影、どこ行った?」というような質問をし、地蔵が応答して禅問答に至る。問答の内容は、「真」という用語を転じつつ、それを遺影に限定させずに、物事の真実と解釈して、そのような真実へのとらわれの無い融通無碍なる知見をもって是とする内容である。

道元禅師はこの一則を、先に引いた『真字』以外で用いられた形跡は無いので、多分にこれだけであったのだろうけれども、わざわざ集められた「三百則」に入るくらいである。このような薬石の一事についても、よく弁えておられたことと思うし、同時にこれが「先師忌」であることにも注意したい。以前から、道元禅師が供養などをしなかった、というような指摘をする人がいて、それは『正法眼蔵随聞記』に見えるたった一文の誤用的拡大解釈でしかないのだが、実際にはかなり熱心に先師忌(如浄忌)を厳修しておられる。

それはこういう文脈とも無関係では無いのだろう、とか思うのである。それほどに、かつての仏祖の生き方を追慕しておられる。我々が観じるべきは、「宗乗とは坐禅か否か?」というような二者択一的なドグマでは無くて、「豊かな仏祖の教えに遵うこと」なのである。そこには、坐禅以外にも供養もあれば読経もある。それが仏祖の会ということなのだ。

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