その理由としては、釈尊の下には、様々な階級の者が出家していた。その場合、元の名前には階級などが分かる場合もあって、それを否定し、いわゆる「四姓出家して同じく釈氏と称す」(元照『四分律行事鈔資持記』下三「釈導俗篇」)などという事態だったとされるのだが、その具体例については、拙僧、よく分かっていなかった。
それで、昨年末に購入した中村元先生『原典訳原始仏典(上・下)』(ちくま学芸文庫)を見ていたら、以下のような一節を見出したので備忘録的に残しておきたいと思い、記事にした。
世に知られ、名声あり、心が平安に帰した修行者が、アッガーラヴァ〔精舎〕で亡くなりました。
尊き師よ、あなたは、そのバラモンにニグローダ・カッパという名をつけられました。
『長老の詩』「大いなる詩句集」1263~1264節、『原始仏典(上)』598頁
この『長老の詩』というのは、「テーラ・ガーター」というもので、岩波文庫では同じ中村先生訳で『仏弟子の告白』というタイトルでも刊行されている。それでここを見ていくと、釈尊が仏教に帰依をしたバラモンに対し、「ニグローダ・カッパ」という名前を付けたことが分かる。
まぁ、普通に考えれば、これこそ「法名を付けた」という話になると思う。
それで、上記『原始仏典』では、この詳細について、註記を岩波文庫『ブッダのことば―スッタニパータ』に任せてしまっているので、そちらを見てみると、「第二 小なる章」の「一二、ヴァンギーサ」項が該当する。それで、ヴァンギーサはニグローダ・カッパの弟子であり、先に挙げた遣り取りは、師が亡くなってから間もない時に行われたものなのである。
そこで、『ブッダのことば』の註記には、このニグローダ・カッパについて、次のように書かれていた。
ニグローダカッパ――Nigrodha Kappaとあるが、カッパというのがかれの名である。ニグローダ樹(榕樹)のもとで真人(arahat)となったので、このように呼ばれる(Pj.346)。
『ブッダのことば』320頁
つまり、カッパという名前であったバラモンが、ニグローダ樹の下で悟ったので、釈尊は「ニグローダ・カッパ」という名前を付けたことになる。よって、この場合、カッパが仏教で出家してからしばらくして悟ったのか、それとも悟ったから出家したのか、その辺は曖昧であるし、この時代は曖昧で良かったことだから、「法名」の付けるタイミングについては確定できないことになる。他の事例なども検討されるべきなのだろう。
それで、中村先生の註記を見ていたら、この一事については北伝の漢訳仏典にもあるそうなので、参照してみた。
威儀、諸根を摂し、大徳、世に称せらる。
世尊、為に名を制し、尼拘律想と名づく。
『雑阿含経』巻45「一二二一経」、『大正蔵』巻2・333a
こちらでもやはり、世尊がこの大徳のために「尼拘律想」という名前を付けたことが分かる。名前を付けるという意味で「制名」という用語があるようなので、それで検索をしてみたが、同様の結果はほとんど得られなかった。よって、もしかすると、世尊が名前を付けるというのは、それほど多い事態ではないのかもしれない。
先に挙げた『原始仏典』を見ていくと、他の僧侶の事例も含めて「○○という名前を得た」という記載が一定量見られたのだが、それは、生まれたときに名づけられたのか(いわゆる「父母の制名」)、その後の人生の過程で名前を得たのか、仏教徒として名づけられたのか、釈尊が名づけたのか、その辺が能く分からなかった。その意味では、この記事では釈尊が弟子のために名前を付けたと思われる事例が存在したことのみを指摘するだけに留まるといえよう。
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