つらつら日暮らし

「三七」という数字に勘違いした日々

間違いなく、勉強不足の拙僧が悪いのだが、まだ学生の頃、或る数字を見て大いに迷乱を深めたことがあった。例えば、以下のような文脈に見える数字である。

 監寺に謝する上堂。
 已に両年三七月を鼻するに、算じ来りて六百有余日なり。
 許多か労謝に叉手せん。更に蒲団を把るの功失せず。這箇は是れ、現前の大衆、相い謝せん。
 且く道え、仏祖、他に謝する、又た作麼生か道わん。
 良久して、払子を以て禅牀の右辺を撃つこと一下して云く、仏祖、各各、先監寺に謝し了れり。
    『永平広録』巻2-137上堂


問題は、この「両年三七月」という記述である。ここで「三七」と出ているのだが、学生の頃の拙僧は、現代的な縦書きの感覚があったためだろう、これを「37ヶ月」だと当初理解した。そうなると、丸3年を超えるわけであるが、ずいぶん永く、監寺を務めた人もおられたものだと感心したのである(一説には、この「監寺」とは義价禅師とも)。

そう思ったら、違ってた(汗)

そりゃそうだ。だいたい、「37ヶ月」では、「両年」という表記に合致しない。この「両年」とは「2年」の意味であるためだ。それに、続く「算じ来りて六百有余日なり」についても、「37ヶ月」を日数に直せば、「1100日」を超えてしまうから、倍近くの開きとなってしまう。

あれれ?となるわけだ。

ということで、自分のアホ自慢はこれくらいにして、この「三七月」というのは、御承知の方がほとんどだと思うが、「3×7月」で、「21ヶ月」のことをいう。そうなると、なるほど、「両年」という記述にも合うし、「六百有余日」にも合致する。それで合点した。

まぁ、この辺は、漢文の記載の方法で、かけ算を、数字を並べただけで表現するわけである。よって、次のような表記にも注意しなくてはならない。

 上堂。
 拍手・授手す、二三四七の伝持。
 知恩・報恩す、百千万億の建化。〈以下略〉
    『永平広録』巻3-253上堂


こちらについても、「二三四七」とあるが、当然に「2,347」という千の位まで含む4桁を意味しているのではない。こちらもご存じの読者が多いと思うが、これは「2×3と4×7」であり、前者は達磨尊者から六祖慧能までの「東土六祖」を意味していて、後者は摩訶迦葉尊者から、達磨尊者までの「西天二十八祖」を意味しているのである。つまり、インドから中国までの祖師方の伝灯を簡単に表現したものだといえる。

それでは、このような表現は如何であろうか。

且つ身後超度に約して、一七日忌より、三十三回忌に至る。
    『禅林普済禅師語録』


こちらは分かりやすいのでは無かろうか。表記の違いが明確である。前者の「一七日忌」というのは、今風にいえば「初七日」のことで、故人が亡くなって7日目に行う供養を指す。後者は文字通りの「三十三回忌」である。このように、「一七」と書けば「1×7」であり、後者の「三十三」は、まさしく「33」なのである。

まぁ、ごく基本のことではあるのだが、禅語録を読んでいると頻出することも事実であるため、注意したいところでもある。

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