つらつら日暮らし

十六条戒の構造的理解について

次の御垂示を拝する機会を得た。

十六条戒の内、三帰戒は正信門で、この三聚戒は誓願門で、次の十重禁戒は修行門と見ることが出来ます。而して十六条戒はもともと一心の三門なれば、別々に離して述べられる訳のものではないが、解り易くする為に、暫く分けて御話して見ませう。
    秦慧昭禅師『仏戒大意』大本山永平寺不老閣・昭和55年、42頁


なお、拙僧の手元にあるのは昭和55年の改訂版であるが、初版は昭和10年であった。内容としては、大本山永平寺68世・秦慧昭禅師が説かれた説戒の記録である。仏祖正伝の受戒・授戒会について、その大意を示されたものであった。

さて、今回参究しておきたいのは、十六条戒の構造的理解についてである。ただし、拙僧自身の不勉強があって、このような構造的理解について、他の典拠を見出していない。三帰・三聚浄戒・十重禁戒という十六条戒について、そもそもが禅で重視する一心が、三門に開けた様子であるとされる。

ただし、その三門について、正信・誓願・修行という3つに開けることについては、以下のような典拠を見出した。

智を以て信を生じ、則ち正信と為す。智を以て願を発し、則ち弘願と為す。智を以て行を起て、則ち妙行、乃至、成仏と為す。
    雲棲袾宏『阿弥陀経疏鈔』巻2、訓読は拙僧


ここでは、根拠となるのは「智」である。智から信と願と行が生じている。このような取り合わせは他にもあると思うのだが、戒と組み合わせたものは良く分からなかった。

秦禅師の御提唱であるが、何故三帰戒が正信門になるかといえば、まさに帰依だからである。また、三聚浄戒が誓願門になる理由は、摂衆生戒が含まれることもそうであるが、更にはこの3つが同時に菩薩の誓願になり得るからである。最後に十重禁戒とは、具体的な修行として展開されるから、修行門になる。

そういえば、先ほどの雲棲袾宏は、妙行から成仏に至るという。いわば、この三門に展開した仏戒は、成仏に繋がると考えることも出来よう。

若し皆様が此の御授戒に遇ひ仏戒を受けて、前に申しましたやうに、各々本具の智慧と功徳とに目覚めたならば、直にそのまゝ仏の位に入るのであるゆゑ、ここに本当の安心立命を決定することが出来ます。
    『仏戒大意』9頁


これは、『梵網経』の「衆生受仏戒」偈を受けて示された御教示だが、仏の位に入り、安心立命するという。仏戒を受ける功徳は、これ以上でも以下でもないといえる。

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