破戒に五の過失有り
一には自ら害す。
二には智者の呵する所と為す。
三つには悪名流布す。
四つには臨終時に悔恨す。
五つには死して悪道に堕す。
『沙門日用』巻下
以上の内容だが、先に挙げた「犯戒五衰」とは複数が重なるが、2項目(3と5)が重なっている。そこで、まずは簡単に訳してみたいのだが、「1には自らを害する、2つには仏道に長じた智者に怒られる、3つには悪名が流布する、4つには臨終の時に後悔する、5つには死んでから悪道に落ちる」という内容である。
似ているが異なっている。それで、上記は中国清代の文献だから、先行する文献があって、例えば『四分律』巻59や、南山道宣『四分律刪繁補闕行事鈔』巻上などに出ている。
ところで、今回見ていきたいのは「悪名流布」についてである。上記でも、破戒をした者はその悪名が世間に流布することを指摘している。そして、典拠となる『四分律』を見ていくと、幾つか「悪名流布」に関する教えが見えている。
飲酒に五の過失有り
顔色無く、体に力無く、眼闇まり、憙に瞋相の現じ、財物を失す、是れを五と為す。
復た五事有り。
病を生じ、闘諍を益し、悪名流布し、智慧転た少なく、死して悪道に堕す、是れを五と為す。
『四分律』巻59
これを続けて「飲酒有十過失」という場合もある。そして、ここにも「悪名流布」とある。つまり、飲酒をしてしまうと、悪名が流布することになるのである。また、「悪名流布」の結果は以下の通りである。
爾の時、提婆達多、人を教えて仏を害せしめ、復た阿闍世王を教えて父を殺さしむ、悪名流布し、利養断絶す。
『四分律』巻14
やはり、悪名流布について論じられているが、その結果は「利養断絶」である。この場合の「利養」とは、比丘などが自らの身心を養うだけの布施などを得ることを意味している。そして、それが断絶とあるので、続かないことを意味しているのである。布施が継続されないということは、僧団自体が継続されないことを意味していた。
破戒僧が批判される理由自体が明示されているわけでは無いが、上記の通り結果が厳しく示されているのである。現代の日本仏教とはどうなのだろうか。
なお、上記の結果の反対で、当然に持戒・持律の功徳も示されている。それはまた別の記事にしておきたい。
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