地獄経に云わく、衆生有り、蹇吃瘖瘂にして、口、言うこと能わず。若し説く所有りて、目を閉じ、手を挙げても乃ち言い了らず。何の罪ありて致す所なりや。
仏言わく、前世の時に三宝を誹謗し、聖道を軽毀し、他の好悪を論じ、人の短長を求め、強いて良善を誣ひ、聖人を憎嫉するに坐せらるを以てなり。
『仏祖正伝禅戒鈔』「第十不謗三宝戒」
・・・良い文章では無いな。前世の問題を元に、現状の問題を論じる方法は、「悪しき業論」と呼ばれ、明らかに人権問題を含み、場合によっては霊感商法などを助長する可能性がある。よって、上記内容を元に、更なる人権問題の発生などが無いように、読者諸賢はご注意いただきたい。
その上で、今回は上記内容を掘り下げることが課題では無く、あくまでも『地獄経』という経典を知ることである。よって、まずは上記内容がどこから引用されているのかを検討したい。すると、同じ文章としては、『諸経要集』巻18からの引用であることが分かり、更に、この一節の文章のタイトルは『罪業報応教化地獄経』とある。
その著作名として知られるのは、安世高訳『罪業応報教化地獄経』があり、『大正蔵』なら巻17に収められているなので、確認した。すると、同経典では、全部で20項目に渡り、様々な「罪業応報」について説くものであった。その内、第五項目は、「誹謗三宝」に関わる内容であったので、『禅戒鈔』で引用されたようである。繰り返しになるが、『禅戒鈔』では、あくまでも『諸経要集』からの孫引きにはなるが、原典とはそれほど違いが無い。
また、「教化地獄経」というタイトルの元になったのは、同経典の冒頭に、以下のようにあるからだと思われる。
爾時、世尊の観時、已に至りて、斯の菩薩の勧請の慇懃なるを見て、即ち眉間より白毫を放ちて世界を相光照す。地獄も休息し、苦痛も安寧なり。
爾時、一切の受罪の衆生、仏の光明を尋ね、仏の所に来詣し、仏を遶すること七匝し、仏の為に作礼し、世尊を勧請して、敷演道化し、此の衆生をして、解脱を蒙むることを得せしむることを勧請す。
以上の通り、釈尊の神通力でもって地獄も含めて白毫からの光で照らしたところ、地獄の衆生すらもまた、苦しみが止んだという。そして、その地獄の衆生も含めて、罪を得て苦しむ者が、皆仏陀に来詣して、道理を説いて、自分たちが解脱を得られることを願ったという。よって、地獄界で苦しむ衆生すらもまた、教化したので、「教化地獄経」となり、その際に説かれた内容が、罪業応報だったことから、最終的にこの経典は『罪業報応教化地獄経』と訳されたのである。
それで、6世紀初めに中国で成立した『出三蔵記集』を見ていくと、この『教化地獄経』を含めた「地獄経」というべき経典が、複数あることを知った。
鬼問目連経一巻
目連見衆生身毛如箭経一巻〈抄雑阿含〉
目連見大身衆生然鉄纏身経一巻〈抄雑阿含〉
見一衆生挙体糞穢塗身経一巻〈抄雑阿含〉
衆生頂有鉄磨盛火熾然経一巻〈抄雑阿含〉
仏為訶到曠野鬼説法経一巻〈抄阿含〉
鉄城泥犁経
泥犁経一巻〈或云中阿含泥犁経〉
勤苦泥犁経一巻
十八泥犁経一巻
四泥犁経一巻
地獄経一巻
地獄衆生相害経一巻
地獄罪人衆苦事経一巻〈抄〉
仏為比丘説大熱地獄経一巻〈抄〉
罪業報応教化地獄経一巻
摩訶乗精進度中罪報品一巻
十法成就悪業入地獄経一巻〈抄〉
比丘成就五法入地獄経一巻〈抄阿含〉
調達入地獄経一巻〈抄中阿含或云調達入地獄事〉
調達生身入地獄経一巻〈抄出曜〉
奪那祇全身入地獄経一巻〈抄〉
流離王生身入地獄経一巻〈抄〉
『出三蔵記集』巻4「新集続撰失訳雑経録第一」
おそらく、挙げ方によってはもっと多いと思うのだが、今回見た『教化地獄経』の前後の文献を一括で挙げてみた。いや、地獄に因む説法、こんなにあったのか?という思いと、どこまでが仏陀の直説なのかな?とか思ったが、後者は不明。今日は名前のみの紹介だが、その内、この辺の記事も何か書こうかな。
言い忘れていたが、この記事は「裏盆の学び」ということで書いてみた。
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