経中に貪瞋痴を三根と名づけ、又三毒と名づく。又貪瞋邪見の三道と名づく。十善戒の中、後三戒、此によりて制するじや。
慈雲尊者飲光『十善法語』第八「不貪欲戒」
以上の通り、慈雲尊者はしっかりと、「十善戒」の「後三戒」について、貪瞋痴の三根、或いは三毒、或いは三道だとしている。よって、先の記事の通り理解して良いと言える。
ところで、この「三根」であるが、以下のような説示が見られる。
三根と言うは、謂わく貪瞋痴なり。染境を貪と名づけ、忿怒を瞋と曰い、闇惑を痴と名づく。
『大乗義章』巻5「三根三道三毒煩悩義四門分別」
経中とはあるが、調べたところ、孫引きの文章を指しているようなので、もう少し分かりやすかった上記の一節を挙げておいた。そして、この「貪瞋痴」が、他の身口二業に影響するについて、以下のような説示がある。
所謂、三根・三道の煩悩なり。三根煩悩は能く思業を発し、三道煩悩は身口業を発す。
同上巻4「十二因縁義八門分別」
三根としての貪瞋痴は、意業となり、三道としての貪瞋痴は、身口業になるという。よって、ここからも「十善戒」の「七事の戒」も、「三の守護」も、貪瞋痴の三毒を根本としつつ、展開していくことが分かる。転ずれば、「三の守護」たる貪瞋痴への抑えが機能していれば、「十善戒」全体が「十善道」として行われていくことになる。
ところで、貪欲・瞋恚・愚痴の3つにも、序列があるという。
世間の悪事、其数多と雖も、本源は貪欲・瞋恚の二じや。その中、自の志を破り、徳義を賊ふは、貪欲を第一とす。世を乱し、事を害するは、瞋恚を第一とす。前の戒と次第かくあることじや。説くときは此別相あるに似たれども、貪欲ある者は必ず瞋恚あり、瞋恚ある者は必貪欲あり、其悪不善法やることは一じや。
『十善法語』同上
このように、慈雲尊者は世間の悪事の本源を、貪欲・瞋恚の2つとしており、特に自分自身の志などを放棄し、徳を失う理由は貪欲が第一だとしている。一方で、世間を乱すのは瞋恚を第一としている。よって、この貪欲と瞋恚は、ともに仏道修行を妨げる根本として、認識されているのである。そうなると、愚痴の位置付けが気になるが、上記のような明確な関連性までは示されていない。或いは、慈雲尊者は愚痴を「邪見」だとしており、正法を正しく把握していない、としている。
よって、それ自体、十悪の根源になりそうだが、まずは上記の通り見ておいた。
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