ところで、本章では、「八王日」のことを挙げている。そうなると、『提謂経』や『浄土三昧経』(土は「度」が正しい)などが典拠となってくるが、両方とも中国に於ける偽経とされる。なお、「八王日」とは、「立春・春分・立夏・夏至・立秋・秋分・立冬・冬至」であり、この八節は、天地に於ける諸神の陰陽が交代する「八王日」としている。
なお、本書では智積院運敞僧正『寂照堂谷響集』から引用されているのだが、その中で彼岸会の原典が模索されているという。
之れを以て僧正は更に「二八月建大精進」の條下に於いて大方便仏報恩経の文を引証して「按ずるに報恩経の二月八月建大精進の説春秋作福の拠と為るに足れり」と述べられたのである。即ち報恩経の巻五に、
「時に憍雲弥諸の比丘及び一切の諸善人に告げて言はく、常に至心に阿難大師に帰命すべし。若し女人有て安穏吉祥の果報を求めんと欲はゞ、常に当に二月八日八月八日に於いて、浄潔の衣を着し至心に八戒斎法を受持し、昼夜六時に大精進を建つべし、阿難即ち大威神力を以て声に応じて護助して願の如く即ち得べし」。
との文によりて僧正は彼岸の期日と由来とを述べられたのである。
『彼岸の信仰』9頁、経文の引用に「」を付けた
なお、上記一節については『彼岸弁疑』が、西方極楽浄土の信仰から批判したともあるが、正直なところ、善行系・西方浄土系という二分化が可能であり、それは仏典上からも明らかである。しかし、それは他力門に立つか、自力門に立つか、という立場の違いがあると思われ、どちらが正しいかという話では無いと思うのである。
ところで、『寂照堂谷響集』では『報恩経』から引用している。
それで、『彼岸弁疑』の批判の根拠の1つにもなっているが、『報恩経』に、先に挙げた一節があることは間違いない(巻5「慈品第七」)のだが、日付が「二月八日・八月八日」となっていることが問題である。これが、もし「春分・秋分」であれば、当然に、月内の日付でずれてしまうので、「八日」とは定めがたいのである。
正直なところ、『報恩経』で述べているのは、彼岸会に於ける善行を促すものではなくて、ただ六斎日の方法を述べたものに見える。それが、「二月八日・八月八日」であるというのも、『報恩経』が在家信者に持戒の功徳を示す経典であることを思うとき、例えば、『薩婆多毘尼毘婆沙』巻2「七種得戒法」に於いて、釈尊に関わる吉祥日として、両日を挙げるので、その関わりなども見ていくべきなのだろうか。
どちらにしても、彼岸会の根拠にはならないのである。よって、経典からの探索は、実は成功しないことが分かっている。『報恩経』を引用した文献を、当方ではまだ探っていなかったので確認してみたが、以上の結果となった。それから、本書では西方往生説を採用し、その場合、極楽浄土を「彼岸」としているのだが、「彼岸会」という用語への展開は、以上の説だけでは分からないのである。
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