しかうしてのち、衆僧、おのおのこころにしたがひて人事す。人事とは、あひ礼拝するなり。たとへば、おなじ郷間のともがら、あるいは照堂、あるいは廊下の便宜のところにして、幾十人もあひ拝して、同安居の理致を賀す。しかあれども、致語は、堂中の法になずらふ、人にしたがひて今案のことばも存す。
『正法眼蔵』「安居」巻
これは、「安居(特に、道元禅師の時代は「夏安居」に限定)」が始まるときに、修行僧達がお互いに挨拶する行持(人事)について指摘されたものである。それで、今でもそうだが、当時、修行僧達は住持に対して挨拶をした後で、お互いに挨拶したのであった。「人事(読み方は「にんじ」)」とは、今であれば字面から、「人の扱いに関すること」を意味しそうだが、この頃は「あひ礼拝するなり」の言葉の通り、挨拶を指した。
さて、ここで道元禅師が述べていることとは、つまり、同じ修行道場に来た者同士、お互いに礼拝して、「同安居の理致を賀す」事を修行僧に教えているのである。当時の日本は、中国の禅林で行われていた正式な安居法は伝わっていなかったという。道元禅師自身が、仏祖正伝の安居法を伝来されたと仰るので、この「理致を賀す」こともまた、お伝えになったと理解して良いのだろうか。
無論、時代を前後するように、中国の禅林にて修行した者は少なくなかったが、安居法とは修行の儀則を伴って形成されるべきものだから、元々所属した宗派の方法と折衷したり、全く別様の修行法にしてしまった事例もあったのだろう。道元禅師が『正法眼蔵』「安居」巻を示したのが、「寛元三年乙巳夏安居六月十三日、在越宇大仏寺示衆」とある通りだとすれば、大仏寺での安居を始め、その過程で示されたのだろう。
つまり、同巻の内容を見ると、安居の始まりと終わりに関する儀則の提示が多いから、大仏寺で最初の結制が行われた寛元3年(1245)の夏安居に入る4月15日前後の方法は、同巻示衆より前に模索的に行われ、その後同巻を示衆し、そして夏安居の解制が7月15日にあった、という経緯で問題無いと思われる。
話を戻すが、「同安居の理致を賀す」とあるけれども、この「理致」とは、理由とか道理という意味である。この文章に使われるのであれば、「道理」という意味の方が適切であろうか?結局、「理致」を述べる言葉だから「致語」というわけである。現在の宗門だと、「首座入寺式」などで、本来の意味を知らずに適当に使っていた感じもするが・・・
また、記事として注目したいのは、「同安居」という言葉についてである。現代的な観点だと、同じ時期に修行道場に入った者に対して用いると思われる。世間一般の言い方に変えれば「同級生」ということだ。だが、それは、何年も同じ道場にいて、その期間が長い者がキャリアがあるという風に変わって以降(まぁ、江戸時代には変わっていたようだが)のことで、当時は、同じ道場に永年いることでは無くて、僧侶になってから何年経ったかが、キャリアの原点となっていた。
よって、「同安居」という言葉も、その同じ「夏安居」に集まった者全員を指していたのであり、今風にいうところの「同級生」を意味していたのではない。或いは、常に1回更新の「同級生」という理解が正しいと言えようか。その意味では、各地方で行われる寺院の結制の状況に、道元禅師の「同安居」の用法は近いといえる。あれであれば、縁のある僧侶が集まって、その時だけの九旬安居を行うわけだが、その時、安居に集まった全員が「同安居」となる。
つまりは、そういう意味なのだ。現代的な意味とややずれている状況、ご理解いただけたであろうか?
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