三月旦の上堂。
睦州和尚云わく、現成公案、你に三十棒を放つ。敢て大衆に問う、如何なるか是れ、現成公案。
是れ軽烟の柳眼を遮り、微かな雨花腮を湿す底莫しや。
是れ三通鼓鳴りて四衆雲集する処莫しや。
是れ南禅不説を説き諸人無聴にして聴く処莫しや。
阿呵呵、
地に就いて拾い得たり麗水の金。
拈起すれば却て是れ新羅の鉄。
『夢窓正覚心宗普済国師語録』巻上
これは、南北朝期などに活躍した臨済宗の夢窓疎石国師の語録から引用してみた。意味としては、中国の陳睦州和尚がいうには、現成公案、そなたに三十棒を放つと、そこで大衆に問うが、この現成公案とは何であろうか。これは、煙が目を遮り、わずかな雨が花腮を湿らせることは無いだろうか。
三通の太鼓が鳴れば、四衆が集まるところは無いだろうか。この南禅(夢窓国師の自称、当時は南禅寺の住持)は説かざるところを説き、諸人は聞くところが無いことを聞くことは無いだろうか。
阿呵呵と大笑いして、地面から拾い上げたのは、中国の麗水で採れる砂金だと思っていたが、摘み上げて見ると、新羅の鉄だった、とでも出来ようか。
結局、現成公案についての話であるから、今眼前で働いている仏法そのもののことを述べている。そして、三月一日にどの辺が因むのかといえば、春の最後の月となり、徐々に花なども咲き、気温も上がってきたので、それを題材にする意図があったのだろう。自然そのものを排除せず、そこに仏法を見ていくのは、禅僧の特徴でもある。
また、「是れ南禅不説を説き諸人無聴にして聴く処莫しや」などは、無情説法かとも思わせるが、ただし流石に済門の夢窓国師は「無情説法」について主題化していないようなのである。
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