中秋の上堂。
月中の桂樹を折り尽して来る。這回は旧を恋わずに這回。
胡来胡現、漢来現。限り無き清光十五枚、と。
『永平広録』巻1-77上堂
これは、仁治2年(1241)8月15日に行われたと考えられるため、京都の興聖寺に居られた時の「中秋の上堂」になる。道元禅師が「中秋の名月」に因み、満月の欠けたること無き姿から、法の円満なる様子を示された。
まず、「月中の桂樹」は月の中に五百丈(約1.5㎞)の高さがある桂があるとされ、伐ってもすぐに戻るとされる。しかし、中秋の名月の場合には、余りに素晴らしい明るさをしているので、余計な樹などの障害物は一切取り払われているとした。
しかも、道元禅師の時代の「月の満ち欠け」に関する考え方は独特で、月食であれば、悪魔がそれを食べたという話があり(釈尊の実子・ラーフラの名前は、この月を食べる悪魔[ラゴラ王]に因んだともされる。しかも、ラーフラが生まれたとき、月食が起きていた可能性があるという。渡辺照宏先生『新釈尊伝』ちくま学芸文庫、101頁参照)、満ち欠けの場合だと、その都度「別の月」が来ていると考えもあった。
しかあれば、昨夜たとひ月ありといふとも、今夜の月は昨月にあらず、今夜の月は初・中・後ともに今夜の月なりと参究すべし。月は月に相嗣するがゆえに、月ありといへども、新旧にあらず。
『正法眼蔵』「都機」巻
ここにも、「新旧に非ず」と出ているけれども、「這回は旧を恋わずに這回」という言葉に通じるといえよう。「都機」というのは、「すべては法のはたらき」という意味になるが、法のはたらきとは、その都度その都度で完結し円満無欠である。
また、転句では、都機が鏡のような美しさであることから、「古鏡の働き」も見出される。これは何かといえば、相手のありのままの姿を映すことである。衆生が来れば衆生の、仏祖が来れば仏祖の姿を映し出す。我々にとって、その実相を映し出すのが古鏡であれば、当然に、我々の修行の進展によって、その修行に応じた姿を現していける、これもまた「古鏡の働き」である。これがなければ、本質的に異なる仏祖と衆生との間で、我々は永遠に衆生として生き続けるが、「古鏡の働き」は救済にも繋がる。
そして、この十五夜に相応しい無限の清い光がこの世を照らしていると、道元禅師は月=都機を讃えて、この上堂を締めくくられている。現代のように、「説法といえば分かりやすく説明してくれる」というのは誤りで、道元禅師は仏祖にあるべき教えを、その言葉で述べてくださった。
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